2019-01-01から1年間の記事一覧

「フォリー・ベルジェーヌの酒場にて」の憂鬱

「フォリー・ベルジェーヌの酒場にて」 「酒場にて」の部分を「バー」としている文献が多いのかも知れませんが、私は頑として「酒場にて」で行きます。 画家エドワール・マネの晩年の作品、英国ロンドン・コートールド美術館に所蔵されているこの絵が、私の…

終わりなき「訪ね歩き」の旅路(最終章の次章)

一旦筆をおいたつもりの、わが人生終わりなき「訪ね歩き」の旅路。 一つ大切なことをやり残していることに気が付きました。それは母方のルーツ探しです。 両親は、その親の世代が台湾に渡った関係で、ともに台湾で生まれ育ち、出会い、結婚しました。 結婚し…

安倍総理の通算在職日数、歴代最長記録と「レガシーはあるのか」議論に思う

さる11月20日、安倍総理は、第一次内閣を含めた通算在職日数が2887日となり、これまでの最長記録だった桂太郎氏を抜いて歴代最長となりました。 折しも、総理主催の「桜を見る会」における招待者推薦の不透明な基準問題で、野党や一部マスコミが、鬼の首がと…

終わりなき「訪ね歩き」の旅路(最終章)

私が社会人になってから52年、結婚してから来年12月で50年になります。その私が社会人になって25年後に会社を辞めました。結婚して22年目です。 結婚した時に、私はいつか自分が会社を辞めるタイプの人間であることを家内に話していました。 ただ、その時誓…

終わりなき「訪ね歩き」の旅路⑥

会社員生活を辞めて以降の27年間、うち4年間のどん底期間、そんな時でも辞めずに続けてきたことがあります。 それが、終わりなき「訪ね歩き」の旅路のゴールになるであろう、仕込みのための作業だったことになります。それは「サッカー情報の記録と収集」と…

終わりなき「訪ね歩き」の旅路⑤

1992年8月から今月で、まる27年、会社から決まった月給をもらえる生活を捨てて、自分の稼ぎで生計をたてて行く生活を、10年、20年続けていくことは本当に大変なことです。 何かに踏み出す時、その先、数年ぐらいは見通しを立てて、何とかできると考えて踏み…

終わりなき「訪ね歩き」の旅路④

1992年8月1日、私は会社員ではなくなり、自分で仕事を作って稼いでいく初日を迎えました。 幸い、知り合いが仕事を用意してくれて、まずは初日から企業訪問です。行先は千葉県芝山町、場所を調べると成田空港が近いところです。 当時、まだネット検索で路線…

終わりなき「訪ね歩き」の旅路③

1988年夏、私は会社の通常の仕事である表玄関側の仕事に変わりました。表玄関側といっても会社で待っている仕事ではなく、日々、こちらが企業さんのところにアポ取りをして出かけるという仕事です。 この仕事のため、東京都内はもとより、いわゆる首都圏と言…

終わりなき「訪ね歩き」の旅路②

18歳で就職した私が最初に試みた軌道修正は、大学に入ることです。何のためにという目的を持たず、大学に入ること自体が目的の軌道修正でした。 その軌道修正に10年かかりました。最初は会社を辞めて大学に入ることでした。その目標を共有した会社の同期入社…

終わりなき「訪ね歩き」の旅路①

このブログは「日本が自信と誇りを取り戻す国になるよう発言していく」ブログですが、ふと我に返り、自分の人生を書き留めておきたいという気持ちになりました。 もう何十年も、そういう書き方をしていませんが、ここに来て、そんな気持ちになったのは、やは…

日本の外交課題は、もは交渉では何一つ解決しない時代に突入している。

日本の西側に位置する隣国と我が国は、絶対に譲れない外交課題を抱えている。 ロシアとは北方領土問題、北朝鮮とは拉致問題、韓国とは竹島問題や解決済の問題の蒸し返し。中国とは尖閣問題や海洋資源の不当採掘問題。 どれもこれも、理不尽な問題ばかりだ。 …

富士山の魅力を語る一人

富士吉田市に賃貸アパートを、富士河口湖町に店舗を借りて、往復する毎日を数ヶ月続け、引き払って都内に戻ってから2度目の冬を迎えている。 先日、三ツ峠からの、雲海の上に浮かぶ見事な富士山の映像がテレビから流れて「ここには登らないで帰ってきたなぁ…

第二次安倍政権と同じ歳月を重ねた当ブログ

新しい年が明け、世は「平成最後の*****」の枕詞一色です。同時に平成の30年間がどういう時代だったかを検証する企画もテレビ、新聞、雑誌等で目白押しです。 確かに平成の時代は、冷たい冬の重苦しい季節に昭和天皇が崩御されたことで始まったことからして…