終わりなき「訪ね歩き」の旅路(最終章)

私が社会人になってから52年、結婚してから来年12月で50年になります。その私が社会人になって25年後に会社を辞めました。結婚して22年目です。

結婚した時に、私はいつか自分が会社を辞めるタイプの人間であることを家内に話していました。

ただ、その時誓ったのは、会社を辞めたあとの人生が浮き沈みの激しいものになっても、自分が働き続けさえすれば、ある程度埋め合わせはできるだろうし、そのことは自分に言い聞かせました。

事実、会社を辞めてから何年か後、50歳を過ぎてから、どん底生活に入ったわけですが、その時、私は思いました。「これはもう生涯現役でいくしかないな。そうしないと、とても埋め合わせはできない」と。

その50歳過ぎたあたりでは、たとえば70歳あたりに自分が働けているかどうか、なかなかイメージは湧きませんでした。ある意味根拠のない「生涯現役」の思いだったように思います。

けれども60歳を過ぎたあたりからは、自分が健康でさえいられれば「生涯現役」を続けられると手ごたえを得るようになりました。

そして70歳過ぎのいま、フルパワーを維持できる時間こそ短くなり、9時-17時の勤務形態は難しくなりましたが、健康を保ちつつ仕事を続けることに何の抵抗もない生活を送っています。

未来など見通せないのが常という中、ある意味、自分が期待したとおりに現役を続けられていることを幸運と言わずしてなんと表現すればいいのでしょうか。

あとは、埋め合わせをしてあげなければならない相手である家内が元気なうちに埋め合わせをしてあげなければダメだ、というのが、いまの私のミッションです。

何が埋め合わせの形なのかわかりませんが、おそらく、二つだと思います。一つは家内が仕事をやり切ったという気持ちで辞めたあと、次にやりたいことを見つけて日常を過ごす毎日にソフトランディングさせてやることだと思います。

本人は、それがいつなのか、次が何なのか、考えているのか、考えていないのかもわかりませんが、時間が来れば自然とその時が来るだろうと思います。

もう一つは、私がやり残している「サッカー情報の100年後への継承」を終えて、家内に「完了報告」をすることではないかと思います。

おそらく80歳近くにでもなればというのが、いまの見通しです。私も家内も健康でその時を迎えられれば幸いですが、こればかりは神のみぞ知ることでしょうか。

一日一日を誠実に、悔いなく生き続けていく、その積み重ねしかないと思います。この書き込みを10年後、読み返すことができれば、その時は答えが出ているでしょう。

その時まで一旦筆をおきたいと思います。