安倍総理の通算在職日数、歴代最長記録と「レガシーはあるのか」議論に思う

さる11月20日安倍総理は、第一次内閣を含めた通算在職日数が2887日となり、これまでの最長記録だった桂太郎氏を抜いて歴代最長となりました。

 

折しも、総理主催の「桜を見る会」における招待者推薦の不透明な基準問題で、野党や一部マスコミが、鬼の首がとれるとばかりに追及を強めていて、野党幹部の一人は「桜とともにそろそろ安倍内閣には散ってもらう」などと、大うけのつもりで皮肉を言っている中でもあり、在職日数更新の記事は、産経新聞では2面に小さく扱う程度で、とてもお祝いするムードにはありませんでした。

当日夜には、民放系BS番組二つが「安倍最長政権の功罪・・・長期化の緩みが表面化、政治的遺産はあるのか」(BS-TBS)、「安倍『最長政権』人事・政局の舞台裏は、残り任期とポスト安倍」(BS-フジ)といった具合に、歴代最長記録更新の節目にあたる特集を組みました。

 

この中で、過去に長期政権を担った総理たちは、どのような政治的遺産(レガシー)を残したのか、桂太郎氏、吉田茂氏、佐藤栄作氏など数人の業績を並べたフリップを示しながら「それでは安倍内閣には、これらに匹敵すると言えるようなレガシーはあるのでしょうか?」と言った議論が行われたようです。

行なわれたようです、と書いたのは、私はどうせ「腐す」ような議論になるだろうからと思い見ませんでした。

 

そして、今朝(23日)、新聞の見出しを見て、一つのことに思いが至りました。その記事には「GSOMIA 失効回避、日本ぶれず、米(は)圧力で本意促す」とありました。

この「日本ぶれず」の言葉にこそ、安倍政権が長期に亘って国のかじ取りを担っている要因が凝縮されていると思うのです。

GSOMIAは、日韓軍事情報包括保護協定で、今年8月、韓国の文在寅(ムンジェイン)政権が一方的に破棄するとの通告をしてきた問題です。

韓国は「原因は日本が作った」のであり「協定延長は日本の態度にかかっている」と、説明するのもバカバカしくなるような、相変わらずの問題すり替えで、東アジアを取り巻く情勢を一顧だにしない鼻つまみ国です。

そうした中で、つくづく思うのです。これが安倍政権でなかったら、どんな譲歩をしてしまうのだろう、安倍政権でなかったら、きっと理不尽と思いつつ、どこかで韓国に塩を送るような愚を犯しかねないと・・・。

現に戦後、いろいろな政権において、相手国の顔色を窺い、関係を悪くしたくないといった思惑を優先させて、ブレてしまい、相手国に塩を送る愚を犯してきた例は枚挙にいとまがありません。

今回のことも「安倍政権でなかったら」と思うと、ゾッとするような状況です。

次に私が思い至ったのは、この現代政治において、政治的遺産なんて作れるのか、という、そもそも論をもっとすべきだという点です。

過去の長期政権について「あれを成し遂げました」「これをやりました」などと、いろいろ語ってみても、それは、この複雑極まりない現代の政治環境、政治情勢と同列に語れる状況だったのでしょうか?

外交関係と言えば、まだ古典的な状況でしかなかった明治時代、アメリカの傘にすっぽりと入ったままでよかった戦後40年ぐらい。そういった時期と、近隣諸国が日本に対して執拗に歴史戦などを仕掛けている現代、少子高齢化の中で膨らむ一方の財政支出を抱えながら経済運営を強いられる現代を同列に語ること自体、あまり意味のないことのように思うのです。

私は断言します。この国内外ともに複雑極まりない現代の政治情勢の中で、長期政権を築いた、そのこと自体が立派な政治的遺産(レガシー)だと。

そして、その要因は、確固たる国家観を持ちながら「ぶれず」に原則を貫き通してきた安倍政権、チーム安倍の結束だと思います。

 

確かに安倍政権には、これを成し遂げれば、大きなレガシーになること間違いなしと言える課題が山積しています。

憲法改正しかり、北朝鮮拉致問題しかり、北方領土問題しかり、沖縄の基地問題しかり、あげれば幾つも出てきます。しかし、国内問題にせよ、外交課題にせよ、問題解決の途は決して容易ではありません。ますます困難になってきている課題さえあります。

それは、政治が常に生き物、生ものであり、情勢が刻々と変化していくものだからです。

その中で進めた、例えば「平和安全法制」と呼ばれる法整備や、「開かれたインド太平洋構想」による外交戦略、2018年フランス・シャルルボワでの主要国首脳会議(サミット)における米欧対立をとりなした舞台回し、さらには「TPP11(環太平洋戦略的経済連携協定)」の取りまとめなど、どれをとっても、日本が国際社会の中で誇りある立場にいることを実感させられる業績だと思います。

安倍総理は、第一次内閣発足当時に「日本を取り戻す」というスローガンを掲げました。そして7年後、よくぞ、ここまで「日本を取り戻してくれた」と評価していいのではないでしょうか。

考えてもみてください。1990年代前半から、日本が「失われた20年」とも言われた長く閉塞した状態を続け、2011年には、トドメと言わんばかりに東日本大震災の災禍に見舞われ、その最後に登場した民主党政権によって、安倍総理自らが「悪夢のような民主党政権時代」と喝破したように、このままでは日本は沈没するのではないかと感じた、その後から7年間で、もはや、誰も「日本は閉塞状態だ」とか「国際社会の中で埋没していて存在感がない」という人はいないほどの状況になっているのです。

このことを政治的遺産と言わずに、何をすれば遺産と言えるのでしょうか。

「棺を蓋いて事定まる」の故事にならい、よく「政治家は棺桶の中に入ってから評価が定まる」と言われます。

安倍総理も、いまは「アベだけは絶対に許さない」とか「アベ絶対辞めさせる」といった勢力からの攻撃が止まない宰相ですが、明治維新三傑の一人、大久保利通同様、傑出した政治家と言われるのは、ずいぶん後年になってからかも知れません。

今朝の新聞見出しにハッとさせられて整理した頭の中は、このように明快な結論によってクリアになった次第です。