自由主義陣営の先進国指導者の劣化を思う「憂うつ」
安倍晋三元総理が暗殺されてから1年余り。かえすがえすも大切な人材を失いました。
日本だけではなく、世界にとっても失ったことの悔恨が日々大きくなっています。
安倍晋三氏は、元総理ということではなく、必ずや三度目の登板を日本はもとより世界が求める日が来る人材だと思うからです。
自由主義社会、民主主義社会を守ろうとする世界の陣営の中で、いま、それを脅かす陣営の軍事力行使、あるいは、その力を背景とした動きを活発化させている国からの脅威に対して、地政学的に逃れられない関係にあるに小国は日々不安を高めています。
それに対して、本来なら自由主義社会、民主主義社会を守ろうとする陣営のリーダーとして、それら横暴なふるまいをする国に対して、敢然と行動できる人が見当たらないというのは、何と心細いことか・・・・。
現実に国土を日々蹂躙され続けているウクライナに対して、武器を供与するだけで、ロシアの侵攻を止めさせられない自由主義陣営のリーダーたち。
戦禍をなくすことができないまま、今日も明日も攻撃にさらされている自由主義社会、民主主義社会の同胞たち。
他国で傍観するしか手立てのない私たちの何と無力なことか・・・。そうした出来事が我が国土の中では起こらないという保証が持てない東アジアの情勢の中で、そうしたことは絶対に起こさせないという確信を持てるリーダーがいないことも、不安を一層掻き立てます。
自由と民主主義という価値観が、世界で強く意識され出してから100年ほどになります。
第二次世界大戦ではヒトラーのナチズムに対してチャーチルが敢然と抵抗して、自由と民主主義を守り抜きました。(その時、アジアの我が国は、身の程をわきまえずにアメリカに立ち向かい玉砕してしまった愚かな国でしかありませんでしたが・・)
戦後は共産主義・ソ連に対してケネディやレーガンといった指導者たちが立ち向かい、ソ連崩壊に向かわせました。
今日(こんにち)、プーチンや習近平といった強権的独裁者の、ウクライナ侵攻や台湾危機といった所業に対して、軍靴による国土の蹂躙は絶対に許さないと、立ち向かえる指導者がいるでしょうか? 誰一人いません。
戦後のパックス・アメリカーナの世界で、その役割を果たさなければならないアメリカが、特に深刻な指導者不在の状況に陥ってしまっています。
アメリカと価値観を同じくする陣営の国々、日本、イギリス、ドイツといった国の指導者にも、かつて安倍総理が国際社会で果たしたきたような「アメリカが頼りないのであれば、我々がしっかりしなければならない」と、強いリーダーシップをとれる指導者は見当たりません。
アメリカの指導者には、もはや「自由と民主主義の世界を守り抜く」といった気概はないようです。自分の国だけがよければ、それでいいのだと、広言してはばからないトランプのような人物が、大統領の有力候補と目されていることは、アメリカ国民が、もはや、かつてのような世界のリーダーとしての役割など、どうでもいいと考えていることの現れです。
アメリカでは、まだ自由と民主主義の気風が生み出す旺盛な起業家精神やイノベーションに対する挑戦心は失われておらず、海外の多くの優秀な人材が集まる国ですけれど、そのことと政治とのギャップがあまりにも大きくなりすぎてしまいました。
おそらく第二次大戦以降のパックス・アメリカーナの時代、ベトナム戦争、中東戦争、アフガン戦争などを通じて、多くの国民的犠牲を払ってきたにも関わらず、状況がアメリカの描いたようにはならなかったばかりか、ついに2001年には9.11テロによってアメリカ本土が攻撃に晒される現実を目の当たりにして、国民が政治というもの、世界のリーダーとしてふるまっていくことについて、絶望したためでしょう。
アメリカ国民も、それを受けたアメリカ政治も、完全に内向きになってしまったというこどだと思います。
加えて、選挙によって民意を反映したリーダーを選ぶという、民主主義の根幹である制度に対しても、それが必ずしも安定的な社会をもたらすことにはならないという懐疑的な考え方も、国民の極端な分断志向に拍車をかけており、世界的指導者を生み出すという役割を完全に果たせなくなっているのだと思います。
イギリスも、かつてEU離脱をめぐって、国民が完全に分断されてしまう愚を犯しました。イギリスは、それを教訓にしようとする歴史的な土壌がありそうですが、アメリカの場合は、多民族国家であることも含めて、かなり深刻です。
先にも述べたように、旺盛な起業家精神やイノベーションに対する挑戦心が、GAFAのような超巨大ビジネスを生み出してはいるものの、その超巨大ビジネスをリードする経営者たちに「そうしたことが可能な自由と民主主義の土壌」というものを大切に守ろうという気概が見られず、むしろ中国というおいしい市場をどのように食っていくかに血道をあげているようであれば、天に唾する行為ではないでしょうか。
そうしていくうちに、自由と民主主義を守ろうという陣営は、中国のように、政治と経済・軍事をひとまとめにして国策としてゴリ押ししてくる国家に、叶わなくなるのではないかと不安になってしまいます。
なぜなら、ロシアもそうですが、中国のような専制主義体制が、未来永劫続かないことは「自明の理」だと断言できても、問題は、今日明日すぐには崩壊しないからです。
旧・ソ連は70年間続き、その間、多くの国の国民が抑圧的体制下におかれ、あとを継いだプーチンによってウクライナが多くの犠牲にさらされているように、専制主義体制が滅ぶまでの間は、その間生きた人たちの人生が奪われてしまうのです。
我が国にとって最も深刻な懸念事項である台湾問題も、習近平政権が打倒されて、台湾を認める政権に代わるか、国力の低下のため台湾進攻を断念しない限り、不安は払拭されないのです。
それまでの間は、とにかくアメリカ、日本などが軍事力を高めて抑止していくことと、台湾自身が「中国の懐柔策には決して屈しない」という強固な意思を持ち続けるしかないのです。
もし軍事抑止力のパワーバランスや、台湾情勢に少しでもスキが生じれば、中国はことを起こします。その時、アメリカは決してアテにはなりません。少なくともバイデンやトランプは間違いなく台湾を裏切るでしょう。さきほども申し上げたようにアメリカの本音は「自分の国さえよければいい」という考えが国の民意になっているからです。
問題は、その時、日本はどうするか? です。「台湾有事は日本有事」と断じた安倍総理なら、決して裏切りはしないでしょうし、そういう安倍総理の決断に日本国民は任せると思います。安倍総理は、自衛隊の犠牲を最小限に抑える戦略を練り毅然と対峙するでしょう。そして中国の攻撃を最小限に抑えて「台湾進攻」を断念させると思います。
しかし、いま、安倍総理はいませんし、再々登板も叶いません。そういうギリギリの局面で決断できる政治家が見当たりません。まさに「憂うつ」なことです。
台湾有事が現実味を帯びてきた時、国民全体が、どう決断すべきかを迫られる時が来ます。その時、台湾国内では当然のことですが、日本国内でも「台湾が中国化しても、別に、たいした問題ではないんじゃない?」という、短絡的な考えに与することがあっては決してなりません。
日本は、かつて天安門事件の時、世界で孤立した中国が「アリの一穴」とばかりに日本に擦り寄った際「いま中国を助けても特に問題はないんじゃない。」と短絡的に考えてしまったため、中国に命水を与えた形になりました。
その中国は、日本に感謝するどころか、その後、30年以上も日本を「上から目線」の態度で、やれ「歴史を鏡にしろ」だとか「軍国主義復活」だとか難癖を続けてきた国です。日本のあまりの「お人好しぶり」に、開いた口が塞がりません。
一方の台湾は、かつて、ニクソン政権時代にキッシンジャーが暗躍して米中国交樹立した際、それまで台湾が得ていた国際的地位がすべてはく奪され、国連をはじめとした国際社会からの締め出され、加えて中国からの積年にわたる「いやがらせ」にも耐えながら、立派に現在の経済的成功を果たしてきました。
日本も、アメリカと中国が手を組んでしまったことに負けて、台湾を国際社会から締め出す片棒を担いでしまいました。それでも台湾は日本を、朝鮮半島の国のように極端に恨むことはせず、ひたすら、自由と起業家精神を大切にして努力してきました。
まさに台湾国民の努力の賜物です。
それがまた香港のように、中国の一部に組み入れられたらどうなるか。「一国二制度」といった50年間の体制保証など、簡単に踏みにじられ、謳歌していた香港市民の自由は完全に奪われてしまいました。
身近な香港で、そういう変化を見ているにも関わらず、中国の一部に組み入れられたらどうなるかといったことに思いが至らないとしたら、何と「ノー天気」なことでしょう。
中国14億人のうち、どれほどの多くの人たちが「中国共産党」という一握りの特権階級層に監視され、密告の不安を抱えて生きているか。政治的に黙っていればいいということが、どれほど息苦しいことか。
中国の一部になるということは、そういう社会に組み入れられるということを、なぜ理解できないのでしょう?
日本国内で、親中派とか呼ばれる政治家や知識人の存在も、どう考えてもわかりません。アメリカがとっくに「中国は自国の主義主張を押し付ける国家であり、協調して同じ価値観に向かおうとする相手ではない。競争相手である。」と見切っているのに、日本にはまだ「協調していきましょう」という幻想がはびこっています。
対話や外交が重要なのは論を待ちません。不測の衝突などを引き起こさないためにもリスク管理のためです。
けれども、政治体制、基本的価値観の違いは、どこまで行っても交わらないのです。必ず中国は「核心的利益」とかなんとか言って、絶対に主張を譲りはしないのです。
そういう体制の国と、どういう考え方で臨まなければならないか、なのです。
それがキチンとできないところが、戦後70年を経た日本の「平和ボケ」なのです。いま、こうして自由でいられる日本を、どれほど多くの人たちの命という犠牲を払って手にできたのか。それを忘れてはならないのです。
終戦を受け入れた後に、ソ連が満州になだれ込み、いかに多くの日本人がシベリアに連れていかれたか。共産主義下にある国は、そういう国なのだということを、ちっとも考えない国民が多い、もしくは、そういう国と親交を結ぶことに違和感を感じない左翼的な人たちが多い国のようです、日本は。
今だって、何人かのビジネスマンが捕らえられ、ろくに裁判もされずに長期に拘束されています。そういう国をまともに見ている人の気が知れません。
ウクライナの人々が陥れられている理不尽な状況を見てもなお、「日本に同じことが起きたら」ということに思いが至らない、守る覚悟ができない日本国民を思うと、また「憂うつ」になります。
最近、インド太平洋に散らばる島嶼国の中に、中国からの外交攻勢、援助攻勢に負けて親中派になる国が増えているとのことです。国連をはじめ国際機関で、一票を持つそれらの国々は、中国の政治体制云々より、支援を受けられるなら、中国の代弁者になるなど、お安い御用とばかり振舞っています。
世界は常にそうした打算で動いているのです。
自由や平等、民主主義の大切さより目の前の利益をとる国々も多いということです。
難しい「地球」になってきました。
地球はいま、気候変動問題や、宇宙でのスターダスト問題が深刻化しており、近未来はAIや量子コンピュータなどの覇権争いも激化しています。
そのような中、他国を蹂躙しても何とも思わない国(中国がいくら『台湾は内政問題であり干渉は許さない』と声高に叫んでも、台湾はそう考えていない)、そういう国で独裁者が君臨しています。
それに対して、自由と民主主義を守りたい陣営の先進国には、毅然と立ち向かう指導者が見当たりません。
いま、世界に、いや地球上に、その「憂うつ」が蔓延しています。映画のラストシーンにある「シェーン!! カンバ~~~ック!!」のような気持ちで「安倍総理!! カンバ~~~ック!!」と言いたくなります。
決して「グッバイ、シェーン! グッバイ、安倍総理! 」という気持ちにはなれません。