【追悼】 安倍元総理、志半ばで斃れ、日本は大切な人を失ってしまった。

安倍晋三元総理が参院選挙応援演説中に暗殺されました。銃弾が自らの身体を打ち抜いた時、何かを思う暇があったかどうか、おそらくなかったと思いますが、志半ばで斃れ、無念であったでしょう。

安倍元総理が無念であったと同様に、私たち日本人も大切な政治家、大切な人を失ってしまい、ただ、ただ無念です。

不条理なことです。日本にとっては最低でも10年、いや、もっと先まで健在でいていただかなければならない政治家を、こうもあっけなく失なってしまいました。不条理の極みです。

なぜ「最低でも10年、いや、もっと先まで健在でいただかなければならない人だった」と断言するのか、それは、日本を取り巻く、特に中国をはじめとした東アジアにおいて、日本の置かれた立場が、明らかに、新たな決断、新たな国のかたちを求められる時期にあるからです。

こうした具体的な局面、どうしても何かを決断しなければならない場面に、国の行く末を誤ることなく導ける指導者は、安倍元総理しかいないと断言できるからです。

こうした場面がこないように手を打っていく行動力、戦略的、先見的に対応していく実行力をもった政治家は安倍元総理しかいないと断言できるからです。

2009年以降、世界の中で埋没しきって、何の敬意も持たれない日本の状態を、いまや世界、特に「自由と民主主義を守る世界のリーダー国」と尊敬を集める国に回復させた指導者を日本は失いました。

まさしく日本が失ってしまった「自信と誇り」を取り戻してくれたばかりでなく、自由と民主主義を守り抜こうとする世界の諸国から「敬意とリーダーシップへの大きな期待」を持って見られる国にまで押し上げた政治家なのです。

このように日本の世界における立場を押し上げるということができる指導者は、100年に1人レベルでしか得られないのだということを、私たちは、これからヒシヒシと感じるでしょう。失ってしまってから、失ったものの大きさがわかってくると思います。

口さがない人たちはよく「安倍さんは三度目を意識しているのだろうか?」と言っていました。他の政治家に対して「一度は総理をやってみたいですよね」と水を向けるのと同じ性根の物言いですが、こういう人たちは、根本的な考え違いをしています。

むしろ、日本がこれから、新たな国難に見舞われた時、国の舵取りを誰か強いリーダーに託さなければならない時期がきた時に、三回目であろうが四回目であろうが、安倍さんが健在でいるかどうかのほうが重要なのです。口さがない連中には、そのことがわかっていないのです。

でも、それも叶わないことになりました。

私は、このあと、安倍さんの屍を乗り越えるようにして、鬼気迫る信念で「私が安倍さんの遺志を継ぐ、何が何でもやり抜く」という政治家が出てくることを切に願っています。

そうしないと、本当に日本は危ないです。この先最低でも10年、いや、もっと先まで日本は非常に厳しい局面に立たされます。安倍さんさえ健在でいてくだされば「日本は断固切り抜けることができる指導者を持っている」という安心感があったのですが、安倍さんを失ってしまった今、本当に危なくなると思うからです。

安倍さんの遺志を継げる人、それだけの信念と覚悟がある人はいると思っています。

志ある言論人の皆さんには、ぜひ、一致団結して「安倍さんの遺志を継げる人、それだけの信念と覚悟がある人」を、支え育て盛り立てて欲しいと思います。

志ある言論人の皆さんが、それぞれいいことは言っているけれどバラバラ、では危ないのです。皆さんが一致団結して「安倍さん亡きあと」をカバーしていただきたいと切に願います。

当方も、そうした取り組みを支援していきたいと思います。