来年こそ、戦火が収まり戦地の人々に安らかな日々が戻りますよう。

今年は年の初めからウクライナでの戦争が続き、来る日も来る日も戦地の人々の悲惨な姿を見て、何もできない自分たちの無力感、無常感を嘆く日々が続いたいたところに、追い打ちをかけるようにパレスチナガザ地区での戦争が勃発しました。

 

19世紀の時代でもなく、20世紀の時代でもない、21世紀になっても人類は戦争をやめないのです。

 

このあとも人類は戦争のリスクと背中合わせに生き続けていかなければならないのでしょうか?

 

来年こそはウクライナでもガザでも戦火が収まり、それら戦地の人々に安らかな日々が戻りますように、と祈るばかりです。

それしか方法がないのです。

 

中国は台湾を支配下に置く野望を募らせて、自由と民主主義という同じ価値観を共有する台湾の行く末に居ても立っても居られない気持ちにさせられます。

 

その自由と民主主義の価値観を共有する国と地域を長年束ねてきたアメリカは、指導者の劣化のため、それら共有する国と地域を一枚岩にできず、帝国主義勢力の切り崩しになすすべがない有様です。

 

こんなにも行く末が案じられる世界、この先の道筋は、あたかも1910年頃に4年後の第一次世界大戦が勃発することを未だ知らずに生きている様なのでしょうか、はたまた、1935年頃に4年後の第二次世界大戦が勃発することを知らずに生きている様なのでしょうか?

 

世界の指導者と、その人たちに自分の命運を託す一人ひとりの国民は、常に、自分たちもあのような悲惨な歴史を、決して繰り返してはならないと肝に銘じて日々を送らなければなりません。

 

悲惨な歴史は、その国の指導者と、国民一人ひとりの戦争回避に対する強い意志の欠如がもたらしたものです。

 

国民一人ひとりの意思が希薄になると、誤った指導者選びにつながります。大局を見ず眼前のことだけを基準にしてしまうことが、希薄になっている表れです。

 

まず「自由と民主主義を守り抜く」という国民全体の決意が揺るぎないものでなければなりません。

 

それがまずあれば、そのあとの選択が自ずとその基準から外れないものになります。

どうか、そうした選択の誤りがないように願いながら新年を迎えたいと思います。

来年こそ、戦火が収まり戦地の人々に安らかな日々が戻りますよう。

 

 

安倍晋三氏を「偉大な政治家」と称賛するのは日本より欧米が先になることでしょう。

2023年秋から暮れにかけて、自民党最大派閥の安倍派による政治資金収支報告書不記載問題が、連日メディアの中心になり国家安全保障問題や国際社会における日本の役割についての議論は、どこかに消えてしまいました。

 

例えばテレビメディアで言えば、地上波各局が政治資金問題を、それ相応に取り上げるのは織り込み済みとしてもBS民放各局が、平日夜7時台から9時台にかけて放送している報道系の番組でも、外交や安全保障問題が忘れ去られているのは何とも言えない無常感に陥ります。

 

そんな中、安倍元総理に関する2つのコラムと、国を誤らせた外務省についてのコラムを目にしました。

安倍元総理に関するコラムの一つは、コラム集を再構成して出版された高山正之氏の著書「安倍晋三を葬ったのは誰か」です。

ご存じのとおり週刊新潮誌に連載されている同氏のコラム「変見自在」を、定期的に再編集して単行本として出版しており、今回の本の帯には「堂々の第17弾」とある。また「本当の犯人は誰だ!?」ということで、厚顔無恥反日メディア(筆者註・朝日新聞)の暴走を一刀両断とあります。

これだけメディアが多様化、パーソナル化している時代ですから、この新聞が相当売国的だということはよく知られるようになりましたが、それにしても一応世間的には「公器」と呼ばれている大新聞が、よくも堂々と時の宰相経験者を抹殺することを宣言して、それがまかり通り、その代償を支払わないでのうのうとしていられるのは義憤に堪えないことです。

「義憤に堪えないことの一つ目=記事や報道という名の暴力をふるいながら、言論の自由という隠れ蓑に隠れて誰も処罰されないで済む新聞・テレビメディア、そして学問の自由という隠れ蓑に隠れて、国会前のデモ演説で「安倍を叩き斬る」とまで言ってしまうような大学教授がはびこる左翼集団」

 

次のコラムは2023年12月17日付産経新聞・日曜コラム欄に掲載された、元内閣官房参与谷口智彦氏の「消えたインド太平洋」という寄稿です。ご存じのとおり谷口氏は安倍元総理のスピーチライターとして活躍された方です。

「自由で開かれたインド太平洋構想」は、日本が世界に向けて発信した自由と民主主義という価値観を共有する国々を結束させるハブとなる概念で、安倍元総理が提唱した構想です。

それにより安倍元総理は国際政治史にその名を燦然と刻むこととなり、これまで国際政治でそのような功績を残したことがない日本にとって、初めての誇らしい出来事でした。

そのような歴史的意義を知ってか知らずか、現職の岸田総理を始め外務大臣たちは「自由で開かれたインド太平洋構想」という言い方をしなくなっているというのです。

そして意識して言っているのかどうか不明だが「自由で開かれた国際秩序」と言っているようだと、谷口氏は指摘していました。

安倍元総理が、なぜ「自由で開かれたインド太平洋構想」を提唱したかというと、それは、先に書いたように「自由と民主主義という価値観を共有する国々を結束させるハブとなる概念」を提示したからであり、言い換えれば、それとは対極にある巨大専制国家・中国に対して「自由と民主主義という価値観を共有する国々」が結束することを呼び掛けたからです。

谷口氏も指摘していましたが「自由で開かれたインド太平洋構想」を言わないとなれば、中国は有難がるだけです。現政権は、そういう外交的思考を意識しているのかどうかです。

「義憤に堪えないことの二つ目=巨大専制国家・中国の野望がじわじわと顕在化していく中、やれ巨大市場である中国とことを構えるのはどうか、とか日本経済のあるゆる面で中国抜きには成り立たないところまで来ている中、やはり対話路線ではないか、などと言った「事なかれ主義」に徹する政治・経済・官僚・マスコミ各界」

 

三つ目の「国を誤らせた外務省についてのコラム」は2023年12月22日付・産経新聞オピニオン欄に掲載された、コラムニスト乾正人氏の「やはり外務省は国を誤らせた」です。

これは、30年の時を経て公開される外交文書についてのコラムで、これまで、たびたび指摘されてきた「天皇皇后両陛下による中国訪問に関する日本の対応の誤り」について、外務省が恫喝を含めたメディア工作を展開した生々しい記録を紹介しています。

当時「天安門事件で国際的に孤立した中国を天皇陛下が訪問されれば、中国にとっては大きな救いの手となる」と指摘した産経新聞・清原編集局長の言葉どおり、中国の銭其琛外相が「西側の対中制裁を打破する上で(筆者註・天皇皇后両陛下訪中は)、積極的な作用を発揮した」と勝利宣言しただけではなく、日本に恩義を感ずるどころか、後ろ足で砂をかけるかのような「反日教育」「靖国問題」などの暴挙を国をあげて展開したのは許しがたい対応です。

その一方、国際社会において、徐々に息を吹き返し、現在の巨大軍事専制国家を作り上げていったのです。

「義憤に堪えないことの三つ目=国を誤らせる3つの中央官庁「外務省」「財務省」「検察庁」、外務省はいま書いたとおりです。財務省も日本経済が沈没しようと「省益こそ一番」「省益を損なう輩は政治家だろうが何だろうが、税務調査という名の査察権を行使してでもぶっ潰す」という恐ろしい役所です。検察庁安倍総理時代に人事権を官邸に握られた恨みを、今回の政治資金収支報告書問題で晴らそうという私怨が見え隠れしています。中国の周主席も政敵を追い落とすのに「法に触れたから」という誰にもケチをつけられない方法をとり続けましたが、検察もそれと同じことをしているだけです。「法に触れたから」という意味では誰も手を出せないネタを存分に使って、私怨を晴らすに違いないと思います。

 

こうして昨今の日本の状況を思うと、安倍元総理の歴史的業績は、これまでの世界の偉人たちもそうであったように、一旦は時間軸の中に埋没してしまうものなのだと、つくづく思います。

つまり、自分たちが生きている間に日本が安倍元総理を「偉大な政治家」と称賛する日は来ないかもしれないと。

少なくとも、日本より欧米のほうが先に称賛して、日本が後追いで称賛する、そんな「外圧がないと動かない日本」らしいことが、安倍元総理の評価についても当てはまりそうです。

 

 

 

 

 

自由主義陣営の先進国指導者の劣化を思う「憂うつ」

安倍晋三元総理が暗殺されてから1年余り。かえすがえすも大切な人材を失いました。

日本だけではなく、世界にとっても失ったことの悔恨が日々大きくなっています。

 

安倍晋三氏は、元総理ということではなく、必ずや三度目の登板を日本はもとより世界が求める日が来る人材だと思うからです。

 

自由主義社会、民主主義社会を守ろうとする世界の陣営の中で、いま、それを脅かす陣営の軍事力行使、あるいは、その力を背景とした動きを活発化させている国からの脅威に対して、地政学的に逃れられない関係にあるに小国は日々不安を高めています。

 

それに対して、本来なら自由主義社会、民主主義社会を守ろうとする陣営のリーダーとして、それら横暴なふるまいをする国に対して、敢然と行動できる人が見当たらないというのは、何と心細いことか・・・・。

 

現実に国土を日々蹂躙され続けているウクライナに対して、武器を供与するだけで、ロシアの侵攻を止めさせられない自由主義陣営のリーダーたち。

 

戦禍をなくすことができないまま、今日も明日も攻撃にさらされている自由主義社会、民主主義社会の同胞たち。

 

他国で傍観するしか手立てのない私たちの何と無力なことか・・・。そうした出来事が我が国土の中では起こらないという保証が持てない東アジアの情勢の中で、そうしたことは絶対に起こさせないという確信を持てるリーダーがいないことも、不安を一層掻き立てます。

 

自由と民主主義という価値観が、世界で強く意識され出してから100年ほどになります。

 

第二次世界大戦ではヒトラーのナチズムに対してチャーチルが敢然と抵抗して、自由と民主主義を守り抜きました。(その時、アジアの我が国は、身の程をわきまえずにアメリカに立ち向かい玉砕してしまった愚かな国でしかありませんでしたが・・)

 

戦後は共産主義ソ連に対してケネディレーガンといった指導者たちが立ち向かい、ソ連崩壊に向かわせました。

 

今日(こんにち)、プーチン習近平といった強権的独裁者の、ウクライナ侵攻や台湾危機といった所業に対して、軍靴による国土の蹂躙は絶対に許さないと、立ち向かえる指導者がいるでしょうか?  誰一人いません。

 

戦後のパックス・アメリカーナの世界で、その役割を果たさなければならないアメリカが、特に深刻な指導者不在の状況に陥ってしまっています。

 

アメリカと価値観を同じくする陣営の国々、日本、イギリス、ドイツといった国の指導者にも、かつて安倍総理が国際社会で果たしたきたような「アメリカが頼りないのであれば、我々がしっかりしなければならない」と、強いリーダーシップをとれる指導者は見当たりません。

 

アメリカの指導者には、もはや「自由と民主主義の世界を守り抜く」といった気概はないようです。自分の国だけがよければ、それでいいのだと、広言してはばからないトランプのような人物が、大統領の有力候補と目されていることは、アメリカ国民が、もはや、かつてのような世界のリーダーとしての役割など、どうでもいいと考えていることの現れです。

 

アメリカでは、まだ自由と民主主義の気風が生み出す旺盛な起業家精神イノベーションに対する挑戦心は失われておらず、海外の多くの優秀な人材が集まる国ですけれど、そのことと政治とのギャップがあまりにも大きくなりすぎてしまいました。

 

おそらく第二次大戦以降のパックス・アメリカーナの時代、ベトナム戦争中東戦争、アフガン戦争などを通じて、多くの国民的犠牲を払ってきたにも関わらず、状況がアメリカの描いたようにはならなかったばかりか、ついに2001年には9.11テロによってアメリカ本土が攻撃に晒される現実を目の当たりにして、国民が政治というもの、世界のリーダーとしてふるまっていくことについて、絶望したためでしょう。

 

アメリカ国民も、それを受けたアメリカ政治も、完全に内向きになってしまったというこどだと思います。

 

加えて、選挙によって民意を反映したリーダーを選ぶという、民主主義の根幹である制度に対しても、それが必ずしも安定的な社会をもたらすことにはならないという懐疑的な考え方も、国民の極端な分断志向に拍車をかけており、世界的指導者を生み出すという役割を完全に果たせなくなっているのだと思います。

 

イギリスも、かつてEU離脱をめぐって、国民が完全に分断されてしまう愚を犯しました。イギリスは、それを教訓にしようとする歴史的な土壌がありそうですが、アメリカの場合は、多民族国家であることも含めて、かなり深刻です。

 

先にも述べたように、旺盛な起業家精神イノベーションに対する挑戦心が、GAFAのような超巨大ビジネスを生み出してはいるものの、その超巨大ビジネスをリードする経営者たちに「そうしたことが可能な自由と民主主義の土壌」というものを大切に守ろうという気概が見られず、むしろ中国というおいしい市場をどのように食っていくかに血道をあげているようであれば、天に唾する行為ではないでしょうか。

 

そうしていくうちに、自由と民主主義を守ろうという陣営は、中国のように、政治と経済・軍事をひとまとめにして国策としてゴリ押ししてくる国家に、叶わなくなるのではないかと不安になってしまいます。

 

なぜなら、ロシアもそうですが、中国のような専制義体制が、未来永劫続かないことは「自明の理」だと断言できても、問題は、今日明日すぐには崩壊しないからです。

 

旧・ソ連は70年間続き、その間、多くの国の国民が抑圧的体制下におかれ、あとを継いだプーチンによってウクライナが多くの犠牲にさらされているように、専制義体制が滅ぶまでの間は、その間生きた人たちの人生が奪われてしまうのです。

 

我が国にとって最も深刻な懸念事項である台湾問題も、習近平政権が打倒されて、台湾を認める政権に代わるか、国力の低下のため台湾進攻を断念しない限り、不安は払拭されないのです。

 

それまでの間は、とにかくアメリカ、日本などが軍事力を高めて抑止していくことと、台湾自身が「中国の懐柔策には決して屈しない」という強固な意思を持ち続けるしかないのです。

 

もし軍事抑止力のパワーバランスや、台湾情勢に少しでもスキが生じれば、中国はことを起こします。その時、アメリカは決してアテにはなりません。少なくともバイデンやトランプは間違いなく台湾を裏切るでしょう。さきほども申し上げたようにアメリカの本音は「自分の国さえよければいい」という考えが国の民意になっているからです。

 

問題は、その時、日本はどうするか?  です。「台湾有事は日本有事」と断じた安倍総理なら、決して裏切りはしないでしょうし、そういう安倍総理の決断に日本国民は任せると思います。安倍総理は、自衛隊の犠牲を最小限に抑える戦略を練り毅然と対峙するでしょう。そして中国の攻撃を最小限に抑えて「台湾進攻」を断念させると思います。

 

しかし、いま、安倍総理はいませんし、再々登板も叶いません。そういうギリギリの局面で決断できる政治家が見当たりません。まさに「憂うつ」なことです。

 

台湾有事が現実味を帯びてきた時、国民全体が、どう決断すべきかを迫られる時が来ます。その時、台湾国内では当然のことですが、日本国内でも「台湾が中国化しても、別に、たいした問題ではないんじゃない?」という、短絡的な考えに与することがあっては決してなりません。

 

日本は、かつて天安門事件の時、世界で孤立した中国が「アリの一穴」とばかりに日本に擦り寄った際「いま中国を助けても特に問題はないんじゃない。」と短絡的に考えてしまったため、中国に命水を与えた形になりました。

 

その中国は、日本に感謝するどころか、その後、30年以上も日本を「上から目線」の態度で、やれ「歴史を鏡にしろ」だとか「軍国主義復活」だとか難癖を続けてきた国です。日本のあまりの「お人好しぶり」に、開いた口が塞がりません。

 

一方の台湾は、かつて、ニクソン政権時代にキッシンジャーが暗躍して米中国交樹立した際、それまで台湾が得ていた国際的地位がすべてはく奪され、国連をはじめとした国際社会からの締め出され、加えて中国からの積年にわたる「いやがらせ」にも耐えながら、立派に現在の経済的成功を果たしてきました。

 

日本も、アメリカと中国が手を組んでしまったことに負けて、台湾を国際社会から締め出す片棒を担いでしまいました。それでも台湾は日本を、朝鮮半島の国のように極端に恨むことはせず、ひたすら、自由と起業家精神を大切にして努力してきました。

まさに台湾国民の努力の賜物です。

 

それがまた香港のように、中国の一部に組み入れられたらどうなるか。「一国二制度」といった50年間の体制保証など、簡単に踏みにじられ、謳歌していた香港市民の自由は完全に奪われてしまいました。

身近な香港で、そういう変化を見ているにも関わらず、中国の一部に組み入れられたらどうなるかといったことに思いが至らないとしたら、何と「ノー天気」なことでしょう。

 

中国14億人のうち、どれほどの多くの人たちが「中国共産党」という一握りの特権階級層に監視され、密告の不安を抱えて生きているか。政治的に黙っていればいいということが、どれほど息苦しいことか。

 

中国の一部になるということは、そういう社会に組み入れられるということを、なぜ理解できないのでしょう?

 

日本国内で、親中派とか呼ばれる政治家や知識人の存在も、どう考えてもわかりません。アメリカがとっくに「中国は自国の主義主張を押し付ける国家であり、協調して同じ価値観に向かおうとする相手ではない。競争相手である。」と見切っているのに、日本にはまだ「協調していきましょう」という幻想がはびこっています。

 

対話や外交が重要なのは論を待ちません。不測の衝突などを引き起こさないためにもリスク管理のためです。

 

けれども、政治体制、基本的価値観の違いは、どこまで行っても交わらないのです。必ず中国は「核心的利益」とかなんとか言って、絶対に主張を譲りはしないのです。

そういう体制の国と、どういう考え方で臨まなければならないか、なのです。

 

それがキチンとできないところが、戦後70年を経た日本の「平和ボケ」なのです。いま、こうして自由でいられる日本を、どれほど多くの人たちの命という犠牲を払って手にできたのか。それを忘れてはならないのです。

終戦を受け入れた後に、ソ連満州になだれ込み、いかに多くの日本人がシベリアに連れていかれたか。共産主義下にある国は、そういう国なのだということを、ちっとも考えない国民が多い、もしくは、そういう国と親交を結ぶことに違和感を感じない左翼的な人たちが多い国のようです、日本は。

 

今だって、何人かのビジネスマンが捕らえられ、ろくに裁判もされずに長期に拘束されています。そういう国をまともに見ている人の気が知れません。

 

ウクライナの人々が陥れられている理不尽な状況を見てもなお、「日本に同じことが起きたら」ということに思いが至らない、守る覚悟ができない日本国民を思うと、また「憂うつ」になります。

 

最近、インド太平洋に散らばる島嶼国の中に、中国からの外交攻勢、援助攻勢に負けて親中派になる国が増えているとのことです。国連をはじめ国際機関で、一票を持つそれらの国々は、中国の政治体制云々より、支援を受けられるなら、中国の代弁者になるなど、お安い御用とばかり振舞っています。

 

世界は常にそうした打算で動いているのです。

自由や平等、民主主義の大切さより目の前の利益をとる国々も多いということです。

難しい「地球」になってきました。

 

地球はいま、気候変動問題や、宇宙でのスターダスト問題が深刻化しており、近未来はAIや量子コンピュータなどの覇権争いも激化しています。

 

そのような中、他国を蹂躙しても何とも思わない国(中国がいくら『台湾は内政問題であり干渉は許さない』と声高に叫んでも、台湾はそう考えていない)、そういう国で独裁者が君臨しています。

 

それに対して、自由と民主主義を守りたい陣営の先進国には、毅然と立ち向かう指導者が見当たりません。

いま、世界に、いや地球上に、その「憂うつ」が蔓延しています。映画のラストシーンにある「シェーン!!  カンバ~~~ック!!」のような気持ちで「安倍総理!! カンバ~~~ック!!」と言いたくなります。

 

決して「グッバイ、シェーン! グッバイ、安倍総理! 」という気持ちにはなれません。

 

 

テレサ・テン「別れの予感」のこと

半年ぶりぐらいで「一人カラオケ」に行きました。あまり歌わないでいると、何かの時に歌おうとしても、変なことになりそうで、意を決して行きました。

 

遠い場所でもなく、行こうと思えばいつでも行けるところにありながら、しかも忙しいわけでもないのに、結果的にはなかなか行けませんでした。

 

歳をとってじわじわと億劫になっているのかも知れません。意識的に行こうとしないと、また疎遠になってしまうかも知れません。

 

さて、半年以上もマイクを持って歌っていませんので、最初はスローな感じから。

選んだのは順に、渡哲也「くちなしの花」、増位山「男の背中」、石原裕次郎「二人の世界」、ロス・プリモス「ラブユー東京」これぐらい歌うと少し慣れてきます。

 

次に、いきなり越路吹雪「サントワマミー」、梓みちよ「メランコリー」、テレサ・テン「別れの予感」

 

あっという間に40分ぐらい経ちました。締めは倍賞千恵子「下町の太陽」です。

 

この中でテレサ・テン「別れの予感」の予約をしようとして、病魔に斃れた作曲の三木たかし氏のことを紹介した番組のことを思い出しました。

 

三木たかしという作曲家は、それこそ命を削って、こういう曲を生み出したのかと、思いを馳せながら歌いました。まさに渾身の一曲という気がします。

 

同時に詩の素晴らしさ、アレンジの素晴らしさも感じます。

あらためて調べてみました。

作詞・荒木とよひさ編曲・林有三、ストリングス・アレンジ:服部克久

とあります。

荒木とよひさ氏という作詞家も同じ番組で紹介されていたと思います。アレンジが驚きました。通常の編曲のほかに、ストリングス・アレンジというのも加わっていたのです。それが服部克久氏ですから、大御所です。

編曲の林有三氏という方も、多彩な才能を持った作曲・編曲の大家のようです。

 

こんなふうなスタッフが仕上げた曲ということで、この曲の素晴らしさが一層わかった気になりました。

 

これからは、一つひとつの曲を作ったスタッフのことも調べる楽しみもできました。

 

 

「安倍晋三演説全集」のこと

本日、11月4日、月刊Hanada編集部が企画して飛鳥新社から予約販売された「安倍晋三MEMORIAL」が郵送で届きました。記念にしまっておきます。

 

今回は、月刊Hanada誌上などでの予約募集ということで、書籍の出来上がりイメージをよく確かめずに注文したことから、違うものだったという感じです。

 

欲しかったのは、安倍総理がこれまでさまざまな場所で演説したり、スピーチしたり、あるいは「70年談話」などの形で発した言葉の全集でした。

 

谷口智彦氏が上梓した「安倍総理のスピーチ」も購入しましたが、谷口氏が手掛けていないものは掲載されているはずもなく、やはり「全集」の形で網羅してある書物が欲しいと思います。

 

ネットで検索すると「安倍晋三演説会見全集」という本と「安倍晋三海外演説集」という本が出てきました。

内容がわかりませんが注文するしかありません。海外演説集が英語表記ですとアウトです。なにぶん著者がロバート ・ホームという外国人?のお名前ですので。

 

届いたら確かめてみます。

【以下、11月8日補筆】

注文した「安倍晋三演説会見全集」と「安倍晋三海外演説集」という本が届きました。

通常の書籍であれば、著者、発行所などの情報が最終ページに掲載されていますが、それらしいものはなく、外国人の方のお名前が1行あるだけです。

 

推測ですが、どうもアマゾン・ジャパンさんの自主出版のような感じがします。

これが書籍とは呼べないものでした。各演説集(総理会見等も含む)が、総理大臣官邸のホームページで公開されている演説・会見のまるごとコピペなのはいいとして、300ページ以上の各ページにページ番号が振られておらず、目次からページを探してみることができない代物でした。

 

要はコピペしただけのものを、そのまま簡易製本して、ハイ3千数百円也という値段をつけた商売ではないでしょうか?

 

どうして、こんな本がアマゾンから出たのか不思議ですが、兎にも角にもページがついていない本、しかも各ページの文字の小さいこと小さいこと、フォントサイズが9~10pt程度です。

 

一も二もなく、ふたつとも返品させていただきました。

そうなると、すべてを網羅した演説集は、目下ないようです。アマゾンさんの本に「戦後70年談話」が収録されていれば、もしかしたら返品を思いとどまったかも知れませんが・・・。

 

 

 

岸田さんのあと、総理は二人まで予測しておきます。あと10年生きていられたら確かめられますね。

前の書き込みで、安倍元総理の歴史的評価について「私はあと10年も生きられるかどうかという余命ですが、それでも、その頃すでに安倍さんの歴史的評価は揺るぎないものになっているに違いありません。」と書きました。

それで「あと10年生きていられたら」と考えてみて、総理大臣は、また1~3年きざみで変わるに違いないので、10年後には岸田さんのあと4人ぐらい総理が変わっているかも知れないと思いました。

すると、このあと誰が総理大臣になるのだろうと、思いが続き、岸田さんのあとは間違いなく林外務大臣だろうと思いました。

岸田さんは、辞める時間違いなく後継指名して、それは林外務大臣しかいないと思うからです。

他の総理候補として茂木幹事長がいます。茂木さんはいつの間にか67歳だそうです。ですから林さんに後継指名があっても、戦いを挑んで勝たないと、もう総理の芽はなくなるでしょう。

ですから茂木さんが次という前提で、順番としては、岸田さん、茂木さん、林さんとしておきます。

さぁ、問題はそのあとです。すでに「5年後の総理番付」なる予想があって、河野太郎さんや福田達夫さんの名があがっているそうです。

福田達夫さんなどは、総務会長以外、まだほとんど表舞台での実績がない人ですが、福田家は総理大臣になれる家系だから、という玄人筋の評価なのでしょうけれど、総理大臣を経験したお父さんのイメージを思うと「?」となってしまいます。

河野さんは河野さんで、人気先行もいいところ、小泉純一郎さんほどの勝負勘と度胸でもあれば別ですが、そこまでの器とは思えませんので、この人も「?」となってしまいます。

私が林さんのあとになって欲しい人は、萩生田光一政調会長です。安倍さんが健在であれば、間違いなく林さんのあとに来るであろう人ですが、後ろ盾を失った打撃が大きいと思います。

あとは、どう人徳を積んで安倍派の跡目を継いで派閥リーダーとなり総裁候補になれるかだと思います。

現在59歳、65歳あたりで総裁選に勝てる見通しがたたなければ難しいのではないでしょうか?。

果たして、岸田さん、茂木さん、林さんと行くか、茂木さんが脱落してしまい、そのあとに萩生田さん、福田達夫さんあたりが来るのかどうか?

一応、このように見立てておいて、その予測がどれほど的中しているか、あと10年生きていられたら確かめられますね。

 

 

 

「安倍さんの国葬に100万人連れだって」自からギブアップでした。お詫びします。

前回の書き込みで「安倍さんの国葬に100万人連れだって参列しましょう」と音頭をとりました。

ところが昨日の当日、肝心の自分は仕事が入ってしまい、一般献花に使える時間が2時間ぐらいに減ってしまったのです。

それでも大丈夫かなと思いつつ、半蔵門駅に降り立ち並び始めましたが、並んでいる人の列は献花場所の「九段坂公園」のほうではなく、逆方向の麹町方面に進んでいました。

その新宿通りの歩道の反対方向を見ると、どうやら「九段坂公園」に向かう列になっているようなので、私たち反対方向に向かっている列がどこかで折り返していることがわかりました。

列は麹町を過ぎて四谷まできて、そこが折り返しのような感じでしたが、その時はギブアップの決断時間になりました。

このまま折り返して九段坂公園に到着する時間が読めないことがわかりましたのでギブアップして四ツ谷の駅にフェードアウトしました。

残念ではありましたが、まだ仕事優先の身です。書き込みした時は威勢よく書きましたので自からギブアップしたことをお詫びします。

一方、新聞で「デジタル献花18万人超える」という見出しを見つけて助かりました。言い訳みたいではありますが、そのようにしたいと思います。

ネットで確認したら、夕方の時点で33万件突破とありました。100万人連れだっての精神が通じている感じがします。

民間有志で発足した「安倍元総理デジタル献花プロジェクト実行委員会」では「弔意が宙に浮くのは本意ではありません」とし、受付を30日まで延長すると発表したそうです。

ありがたい限りです。何とかアクセスして済ませたいと思います。

また報告します。

【追記】

「安倍元総理デジタル献花プロジェクト実行委員会」のサイトにアクセスできました。

弔意と献花をしました。

それを再録します。

アカウント名・ニックネーム nihontorimodosu

年齢 74歳

弔辞 安倍元総理へのメッセージ

 

国葬に反対の世論が5割に達しています」などという、相変わらずのメディアの雑音がある中での国葬となりました。

岸田総理は「弔辞」の中で、安倍さんが「たたかれたて、たたかれて、やっと形を成す鍛造品、それが総理というもの、と言っています」と述べました。

まさに死してのちも「たたかれて」形を成している安倍さんは、歴史の中で「巨星という名の鍛造品」となっていくことでしょう。

私はあと10年も生きられるかどうかという余命ですが、それでも、その頃すでに安倍さんの歴史的評価は揺るぎないものになっているに違いありません。

安倍さんの幾多の歴史的演説を収録した谷口智彦氏の「安倍総理のスピーチ」を入手しました。

それを冥土まで持参していきます。また肉声でお聞きしたいと思います。

九段坂公園の献花台に白菊を1本持って向かいましたが、多くの皆さんの列で、あいにく限られた時間のため献花が叶わずに終わりました。

このプロジェクトで白菊を用意してくださいましたので、遅ればせながら捧げます。

黙礼