来年こそ、戦火が収まり戦地の人々に安らかな日々が戻りますよう。

今年は年の初めからウクライナでの戦争が続き、来る日も来る日も戦地の人々の悲惨な姿を見て、何もできない自分たちの無力感、無常感を嘆く日々が続いたいたところに、追い打ちをかけるようにパレスチナガザ地区での戦争が勃発しました。

 

19世紀の時代でもなく、20世紀の時代でもない、21世紀になっても人類は戦争をやめないのです。

 

このあとも人類は戦争のリスクと背中合わせに生き続けていかなければならないのでしょうか?

 

来年こそはウクライナでもガザでも戦火が収まり、それら戦地の人々に安らかな日々が戻りますように、と祈るばかりです。

それしか方法がないのです。

 

中国は台湾を支配下に置く野望を募らせて、自由と民主主義という同じ価値観を共有する台湾の行く末に居ても立っても居られない気持ちにさせられます。

 

その自由と民主主義の価値観を共有する国と地域を長年束ねてきたアメリカは、指導者の劣化のため、それら共有する国と地域を一枚岩にできず、帝国主義勢力の切り崩しになすすべがない有様です。

 

こんなにも行く末が案じられる世界、この先の道筋は、あたかも1910年頃に4年後の第一次世界大戦が勃発することを未だ知らずに生きている様なのでしょうか、はたまた、1935年頃に4年後の第二次世界大戦が勃発することを知らずに生きている様なのでしょうか?

 

世界の指導者と、その人たちに自分の命運を託す一人ひとりの国民は、常に、自分たちもあのような悲惨な歴史を、決して繰り返してはならないと肝に銘じて日々を送らなければなりません。

 

悲惨な歴史は、その国の指導者と、国民一人ひとりの戦争回避に対する強い意志の欠如がもたらしたものです。

 

国民一人ひとりの意思が希薄になると、誤った指導者選びにつながります。大局を見ず眼前のことだけを基準にしてしまうことが、希薄になっている表れです。

 

まず「自由と民主主義を守り抜く」という国民全体の決意が揺るぎないものでなければなりません。

 

それがまずあれば、そのあとの選択が自ずとその基準から外れないものになります。

どうか、そうした選択の誤りがないように願いながら新年を迎えたいと思います。

来年こそ、戦火が収まり戦地の人々に安らかな日々が戻りますよう。