国際政治を的確に喝破されている宮家邦彦氏が産経新聞に「宮家邦彦のWorld Watch」という連載を執筆されている。
8月12日のテーマは「4つに分断、米社会の深刻さ」
すなわち、アメリカ社会は、従来の共和、民主両党勢力の対立から両党内部でも分断が始まっていて、計4つの、しかも極右、極左勢力の圧力が増大しているため、恐ろしい近未来を暗示していると指摘されている。
その結果、アメリカは超大国としての繁栄と国力の終焉を招きかねないというのだ。
となれば、すぐ思い浮かぶのは中国とのパワーバランスの変化だが、中国とて、現在の体制がいつまでも続くとは到底思えない。それは「いつまでも続かないで欲しい」という願望からきているのではなく、世界の歴史、なによりも中国の歴史が繰り返される必然性を感じるからだ。
その場合、アメリカの衰退と中国に起こる変化は、どちらが先に、あと何年先に表面化するのかということが最大の関心事となる。
現在、日本は社会としての価値観の共通性でアメリカと強力な同盟関係を築いている中、経済的、地政学的に切っても切れない関係にある中国とは、価値観的に相いれない状況にある。
アメリカの衰退と中国に起こる変化に対して、日本は主体的に対応する道筋を持たなければ必ず代償を払わなければならなくなる。
コロナへの対応をはじめ山積する内政問題に埋没して、この根本的な戦略課題に向き合う政治家、ブレーン、経済界リーダーが見当たらない。
幕末・明治維新も、第二次大戦後も、さまざまな幸運に恵まれて生きながらえてきた日本が、次の国難時にも何らかの幸運にすがることしかできないのであろうか。
コロナへの対応という危機的な状況での日本のありさまを見ていると、幕末10数年の徳川政治、そして戦争へと突き進んだ昭和10数年の政治がそうだったように、やはり道を誤らない選択ができない国なのではないかと思えてくる。
10数年前に民主党政権という、土台無理な政権に国の行く末を委ねてしまい、すんでのところで安倍政権によって沈没を回避した日本。
自信を取り戻したかに思えた日本の行く末に、再び暗雲が垂れ込めてきた。
国民は、選択肢がない時には、土台政権を担うことなど無理な政党でも票を投じてしまう。民主主義の弱点がそこにある。
土台無理な政党の連中は「自分たちには無理だ」という自覚がない連中、国民から負託を受けたのだから「自分たちにはやれるのだ」という勘違いをする連中から成り立っており、その結果、国の行く末がどうなろうが気にしていない。
国の行く末に対する根本的な国家観をしっかりと持った政治家、ブレーン、経済界リーダーが不在になると、かくも心もとないことになる。
そうなると、アメリカの衰退ができるだけ遅くなり、中国の変化が先にきて、その幸運に救われることを願望するしかないことになる。そんなうまい話しがあるだろうか?