七つの海を制した大英帝国と、世界へ出て一敗地に塗れた日本との違い

月刊WiLL2021年7月号「HeadLine」企画で、ロンドン在住の谷本真由美氏が書いておられた「日本人のための目覚まし時計(アラームクロック)・政治家と役人が腹をくくったイギリス」という寄稿に同感でした。

 

コロナウィルスワクチンの接種をいち早く進めたイギリスと、世界の中で後手に回っている日本との違いを明快に指摘しておられました。

 

イギリスのやり方というのは、国家の一大事になった時にとる、その国の本質がよく出ているそうです。

 

そこの部分を少し長くなりますが引用させていただきます。

「形式より実質を重視し、多少の粗さがあっても走りながら考え、細かい部分には目をつぶる。結果がよさそうなら前例にはこだわらない。

最初はダメダメでも修正を繰り返し、帳尻を合わせて最後に逆転勝利。政治家も役人も個人主義だが、国家の一大事には腹をくくって責任を取る。やはり七つの海を制覇していた大英帝国は強い。」

 

まさに、そのとおりで、かつて七つの海を制した大英帝国、一方、かつて世界に出ていって一敗地に塗れた我が国との違いが、一大事になった時の国の舵取りの差だと思います。

 

日本国内限定の一大事である「東日本大震災福島原発事故」のような時は、比較対象になることがないため、国としての舵取りの拙さが白日のもとに曝け出されてしまうことがなかったのですが、世界全体が一大事になった時は、その国の舵取りの巧拙が、そのまま白日のもとに出てしまいます。

 

コロナワクチンの接種に関しては、まさに、日本としての舵取りの拙さが、モロに出てしまったわけです。

 

しかし、かつて世界に出て一敗地に塗れた日本が、二度とそのような過ちを繰り返さないために何か足りないのか、何が必要なのかと、すでに70年以上にもわたって問われ続けていながら、未だに「一大事になった時の国の舵取り」についての国民全体のコンセンサスを持ち得ていないことに慄然となります。

 

今回、コロナワクチン対応でも失敗したということは、この先、どんな一大事の場合でも、日本という国は、一敗地に塗れる歴史を繰り返す国でしかないということが明らかになったということです。

 

私は思います。

世界へ出て一敗地に塗れてから100年に向かう、この先の20数年の中で、中国という国が独裁政治体制の崩壊がない限り、必ず、どんな形かで日本に戦いを挑んできますから、その時の舵取りについて、国民全体として何のコンセンサスを持たない日本は、またぞろ一敗地に塗れてしまうことが明白なのではないかと。

 

おそらく多くの日本国民は、仮にそういうことがあっても「何とかなるのでは・・」「日本国民もバカじゃないから黙ってないし・・」といった、根拠のない楽観論、あるいは現実逃避思考からくる態度でいるに違いありません。

 

冒頭に紹介した谷本真由美氏は、その稿を次のように締めくくっています。

「日本は国民と現場の生真面目さ、公衆衛生や健康に関する教育レベルの高さで初動の対応は良かったが、ワクチン行政では苦戦を強いられている。

 今の日本に足りないのは、イギリスのような大胆さや、腹をくくった指揮官、結果と科学を優先する合理性、トップダウンの強力なリーダーシップである。そこに国民の賢さが合わされば、日本はより強い国になるだろう。」

 

この締めくくり文の「初動の対応はよかったが・・」というくだりで、さきの大戦の最初の1年ぐらいの日本のことを思い出してしまいました。

 結局日本が完膚なきまで叩きのめされるまで戦争を終わらせられなかったのは「今の日本に足りないのは、イギリスのような・・」のところで谷本氏が指摘された部分が足りなかったためです。

 

 イギリスが、ナチスドイツにあと一歩まで攻め込まれながら負けずに、戦勝国になったのは、チャーチルがいたからだけではなく、谷本さんが指摘された部分を国全体の総意として発露できたからです。

 

 そうなると、日本がイギリスのように「一大事になった時の国の舵取り」がキチンとできるようにするには、どういうことを積み上げればいいのか、という議論になります。もちろん議論だけで終わるのではなく、決め事まで持っていくには、どういう積み上げが必要かということです。

 

 谷本さんの指摘に倣えば、この先の20数年の中で、中国という国が、どんな形かで日本に戦いを挑んできた時、国の舵取りを誤らない「大胆さ」や「腹をくくった指揮官」「結果と科学を優先する合理性」「トップダウンの強力なリーダーシップ」そして「国民の賢さ」という国全体としての力を持たなければなりません。

イギリスがナチスドイツを撃破したように、我が日本も戦いを挑んできた中国を撃破するために。