終わりなき「訪ね歩き」の旅路⑤

1992年8月から今月で、まる27年、会社から決まった月給をもらえる生活を捨てて、自分の稼ぎで生計をたてて行く生活を、10年、20年続けていくことは本当に大変なことです。

何かに踏み出す時、その先、数年ぐらいは見通しを立てて、何とかできると考えて踏み出すものですが、10年先、20年先というと、結局世の中がどうなるかわからないということもあり、見通すこと自体、至難の技です。

あとは、どうなっても乗り切っていくという覚悟や、さまざまな工夫次第ということを痛切に感じます。

私の場合も、順調というか、何とか自営業者らしくできたのは、最初の5年ぐらいだったと思います。そう1992年から1997年ぐらいまででしょうか。

1995年夏に、中古マンションを15年ローンで買って移ってから、わずか3年後にはローン返済が重くのしかかってきました。月額14万円強の支払いが、否応なく通帳から引き落とされるのは、何か定額で収入がある場合は、なんとも感じませんが、収入の見通しがたたない場合は一転地獄です。

1998年(平成10年)秋から2002年(平成14年)秋までの4年間は、本当に生活でした。最初はサッカービジネスで何とか立て直そうとして、銀行から罵詈雑言を浴びながら80万円の借金までして「サッカーシアタールーム」なる店を開きました。

2000年秋の「シドニー五輪サッカーを観る会」ができただけでもよかった試みでしたが、収益には結びつかず店じまい。残ったのは家のローンに加えて借りた銀行の借金でした。

2000年暮れに、いよいよ私は決断して、自分が仕事を作り出して生活する、いわゆる自営業を放棄しました。人材派遣会社に登録して、給料生活の途を探ったのです。

しかし、プロジェクト契約の仕事は得たものの、半年とか1年の期間限定プロジェクトで、それが終われば、また収入ゼロという不安定なままです。その収入の空白を埋めるべく2001年には人材紹介会社の社員として働き始めたものの、実績がなければ収入ゼロの無駄働きで、一旦半年で退職、翌年2002年春に再入社してから収入が出始めるという我慢の時期でした。

この4年間の厳しさは、資金繰りに表れています。私ができる借金といえば、サラ金です。各社からそれぞれ借りまくり、合計400万円ぐらいまで膨らんだことがあります。それを、そのままにしていたら、金利返済だけで首が回らなくなります。

とった方法は、まず地方都市時代に確保した4部屋ほどのワンルームアパートの売却、私が夜間大学に入った同じ年に入学した会社の後輩が、その後も親身になってくれて、この時も売却手続きに奔走してくれて、300万円の売却益を出してくれました。

まず、これでサラ金の大半を返済しました。もう一つの手は住宅ローンの支払い中断手続きです。1年の猶予をもらい、ずいぶん助かりました。

それでも、また支払い再開の時期が近づき、私は住んでいる家の売却も画策しました。しかし、家内から「これだけは手放さないで欲しい」と懇願され思いとどまりました。

最後には、兄の世話になりました。兄は何も言わずに50万円振り込んでくれました。

私は、ワンルームアパートの売却に奔走してくれた会社の後輩と、何も言わずに振り込んでくれた兄の恩は生涯忘れないことに決めていて、ささやかな恩返しを続けています。

この難しい時期を乗り越えることができたのは、こうした人のおかげです。

この頃を象徴する、ある落涙の経験も、私は忘れません。カツカツの生活ながらも家内は明るさを失わず、たまに二人でカラオケに行ったりしました。そのカラオケの部屋で、家内が唄った、川中美幸の「ふたり酒」

生きてゆくのが つらい日は おまえと酒があればいい   飲もうよ 俺と ふたりきり   誰に遠慮がいるものか 惚れたどうしさ おまえとふたり酒

苦労ばっかり かけるけど 黙ってついて来てくれる   心に笑顔 たやさない    今もおまえはきれいだよ 俺の自慢さ おまえとふたり酒

私は一緒に歌いながら落涙して、嗚咽がとまりませんでした。そして、絶対また、余裕のある生活を取り戻すぞ、と心に誓いました。

こういう時を過ごせたのも、決して無駄ではないと思います。いい時ばかりではなく悪い時もあるわけで、その時、どういう過ごし方をするか、この経験は、私の中では人生の大切な1ページになっています。

翌2003年秋からは、人材派遣会社でのプロジェクト契約の仕事が長続きし始めて、ギリギリながらも安定し始めました。

そして2006年からはN社の東京駐在担当という仕事も加わり、ここから3年で住宅ローンを加速度的に返済することができ、2009年完済、ようやく一段落しました。15年ローンを1年繰り上げて返済したのです。

そのあと、自重して蓄えればよかったのですが、そこがまだ未熟というか、せっかく溜まった頃に、投機的な取引に手を出し、あっという間に400万円ぐらい損失を出すといった失敗を犯したり、そして2015年の「ギャラリーカフェ」出費です。この時も400万円ぐらい使っていますから、まだ蓄えるという意識が足りなかったようです。

あらためてですが、1998年(平成10年)秋から2002年(平成14年)秋までの4年間、つまり27年間のうちの4年間は、忘れられない、そしてまた、忘れてはならない人生の底の時代でした。