「江戸後期」と「明治」はひと続き、追論

さる6月25日付けの書き込みで「「江戸後期」と「明治」はひと続き、同感。」と論じ、翌26日にも加筆した。

前段は「『維新革命』への道」の著者、苅部直さんの主張に同感する形で、後段の加筆は、「司馬遼太郎の『明治』とは何か」と題した、文芸評論家にして都留文科大学教授・新保祐司氏の論文に共感する形で書いたものだ。

その新保氏も書いているのだが、作家・司馬遼太郎氏の没後20年・回顧展「21世紀 "未来の街角で」を、横浜そごう美術館に見にいったことで、また追論したくなった。

新保氏が論文の中で、「司馬さんにおける「明治」とは世界史の中の一つの奇跡であり、明治という時代に絶対的な偉大さがあるということだという。そして、それを偉大たらしめたのは日本人の持つ道徳的緊張感、硬い精神性であると喝破しているのだ。そして、侍の自らを律する精神、節度、すなわち江戸時代の武士道から来ていると語っているという。」と述べていることは、前回紹介したが、今回、回顧展を見に行って、新保さんも、私が会場で感じたところと同じ部分を題材にしていることを知った。

すなわち、会場の最後のところにNHKスペシャル「太郎の国の物語」をもとに編集して流されていた司馬さんのインタビュー映像で語られていた部分、新保さんもその部分に感銘を受けて取り上げていたのだ。

6分ほどの映像だが、私からすれば、このインタビューこそが「司馬さんにおける『江戸後期と明治はひと続き』論」にほかならないと思えた。

私は前回、「『廃藩置県』と『身分制解体』により、髷を結い、裃・羽織袴に帯刀し、畳敷きの和室で政治を行なっていた武士階級が、その権力と身分のすべてを失っても、現実を受け入れることができたのは、ひとえに、その自らを律する精神、節度、すなわち武士道精神によるところが大きいということだ。」と書いたが、司馬さんは、もう一つ「武士道精神」によって成し遂げられたことをあげている。

これは前回も書いたことだが、明治時代になって20年ぐらいは、国内経済がよかったわけではなく、身分と禄を失った武士階級から小作農から解放されてはいない農民まで、相変わらず不満はくすぶっていた。

にもかかわらず、日本が着実な成長軌道に乗ることができたのは、時の政府の指導者層はもとより、地方の小役人、そして武家の商法で慣れない商売を始めた侍、学校の先生になった者など、上から下まで、あらゆる層で「武士道の精神」すなわち自らを律する道徳的緊張感と節度が働き、努力した結果だと司馬さんは述べている。

だからこそ司馬さんは「明治の日本はよくやったと思う」し、これは世界史的にみても「奇跡的なこと」だと話しているのだ。

そして司馬さんの真のメッセージは、その先にある。「江戸後期から明治への変革を可能にした日本人の精神的よりどころ、精神的緊張感と節度」といった気風は、明治後期以降、徐々に失われてしまった。それが緊張感と節度を失った民族が、明治の成功体験だけを拠り所に猛進したことで、歴史に「敗戦」という鉄槌を下される。

西洋におけるプロテスタンティズムと似た精神性でもある「江戸後期から明治へと受け継がれた日本人の精神性、すなわち精神的緊張感と節度」といったものを、この先も日本人が失ってはならないものとして取り戻さなければならないのではないか。これが司馬さんの「21世紀の街角ですれ違う日本人」へのメッセージにほかならない。

私は前回こう書いた「日本がこれから先、どのような国難に見舞われるやも知れないのだが、武士道ほどの道徳的緊張感、硬い精神性ではなくとも、やはり自らを律する精神、節度の国民性を失わないよう、社会規範として受け継ぐ必要がある。

6年前、東日本大震災に見舞われながらも日本人が示した態度が、世界から称賛されたことを見れば、何がしかの国民性は受け継がれていると考えていいだろう。」

司馬さんがもし、あの東日本大震災の時を見ておられたら、少しは「日本人もまだ捨てたモンではありませんナ」と感じられただろうか? お聞きしてみたいものだ。

ところで、横浜そごう美術館の司馬遼太郎氏の回顧展で、驚き、そして思わず笑ってしまう説明を見つけてしまった。
それは、吉田松陰高杉晋作の子弟関係を題材にした氏の作品「世に棲む日々」の最初の連載が「週刊朝日」で始まったという説明だ。

これは何なんだ! という驚きと、その後すぐ「これはまるでブラックジョークの世界だよ」と笑ってしまった。もちろん周囲に気取られるような笑い方はできなかったが・・・。高杉晋作を敬愛してやまない安倍総理、その安倍総理を「うちが葬儀を出す」といって倒閣運動の先鋒を隠そうともしない朝日新聞、その系列雑誌が連載を始めたという事実を、朝日新聞はどう説明するのだろうか?

もっとも朝日新聞は、なんでも正当化してしまう、どうしようもないメディアだから、こんなことは屁でもないのだろう。

それからもう一つ、これは今日観たテレビの歌謡番組の中で語られたナレーションの一言、ある歌手のイントロ部分で「昭和という輝ける時代を象徴する・・・」という言葉。思わず「あれっ」と引っかかった。

「明治という輝ける時代」を明治後期から徐々に失い、とうとう昭和前期に暗黒の時代を迎えた日本であったはずだが、昭和後期には再び「輝ける時代」と言える時代を取り戻したということか?

しかし、昭和後期のそれは司馬先生の言う「輝ける時代」とは似ても似つかぬ様相を呈していたはずです。昭和後期の輝ける時代と似た時代を、あえて歴史に見出すとしたら、それは「元禄時代」ではないだろうか。

昭和後期もまた「昭和元禄」と呼ばれた時代だった。元祖「元禄時代」も、多様な文化の百花繚乱に花開いた輝ける時代だったが、それはまた鎌倉時代以来の「武士の精神」が失われ、武士が官僚化、サラリーマン化してしまい精神的緊張感と節度を失った時代でもある。

すなわち、ここで言う「輝ける時代」とは決して「明治という輝ける時代」と同一のものではないと、認識しておかなければならないと強く感じた。