稲田朋美さん、宰相を支える精神的支柱をめざせ。

2017年7月28日、稲田朋美さんの「宰相への試練の旅」が終わりました。いいじゃないですか。宰相になれなくても日本の政治史に名を刻むことは十分できます。

もっとも、このままフェードアウトしては、今回のことだけが汚点として残ります。安倍さんのように不本意にも一旦表舞台から退場しても、必要な人材は歴史が呼び戻します。

稲田さんも、いずれ歴史が必要とする時がきます。それまでは「雑巾がけ」でいいんです。
では、どう「雑巾がけ」するのか、その答えは今回、稲田さんに浴びせられた数々の罵詈雑言の中にあります。

それは服装、態度など政治信条や精神性とは無関係のことばかりですが、政治家とは、民衆から選挙の投票を得られなければ、どれほど政治信条や精神性が素晴らしくても、それを政治の場で発揮することはできません。

これまではよかったのです。「次世代のホープ」「保守派の星」といった期待感だけでよかったのです。けれども、これから先は自分に足りないところを地を這うように、砂を噛むようにしてつかみ取り、「あの人は、あの経験をして、あの挫折のあとガラリと人が変わった」と言われるところまで変わらなければ、再び表舞台で活躍できるチャンスは訪れません。

それをどうやってつかみ取り、人が変わった自分になるか。

それは唯一、地元選挙区で、ひたすら地元の人たちと同じ目線で対話し、教えを請うことによってしか得られません。しばらくは叱咤される日々が続くに違いありません。しかし、それでも、ひたすら教えを請い続ければ、次第に地元の人たちは、本当に稲田さんに足りないものを教えてくれるに違いありません。

地元の選挙民という生身の人たちから共感を得て、再び中央の舞台で政治を牽引できるようになるには、これまでのような物の言い方、態度、作り笑顔では通用しません。

自分自身が真からへり下っていなければ共感を得られる言葉は出てきません。これまではそれでも通用しました。期待値に対して投票してくれたのですから。

自分自身が地元の選挙民と同じ目線で物事を本当に見ているのか、考えているのか、実は地元の人たちは、そこを見抜いています。見抜いていても、これまでは許してくれました。

そういう自分だったことについて、地元の人たちに詫びなければなりません。心底からのお詫びが出てこなければ、雌伏している意味などありません。

言葉一つ、服装一つ、微笑み方一つとっても、その場その場にふさわしいのか、不遜ではないのか、服装は浮いていないのか、単なる作り笑顔ではないのか、常に自問自答し続けなければなりません。自分自身を見つめ直して、地元の人たちに教えを請うことを続けるしかありません。

そうすれば、やがては、再び激励のエールに送られる日がきます。「稲田さんは変わった。ガラリと変わった。まだまだ足りないところは多々あるけれど、この人を支えてあげよう。この人を推しあげていこう。」そう言ってもらえるところまで人間的魅力を磨かなければ展望は開けません。

それまでは、雌伏です。2年でも3年でも雌伏です。そして自らを変えなければなりません。さらには、いずれの日かに向けて蓄えなければなりません。

ここに一つの格言があります。それは稲田さんのためにある格言です。
「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」

稲田さん「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲田かな」になりましょう。

今回、徳川家康の故事に倣い、一つの記録を保存したいと思います。徳川家康は生涯唯一と言われている負け戦「三方ケ原の戦い」のあと、今後の戒めのためとして戦装束の自画像を描かせます。負け戦におびえ切った、およそ家康らしからぬ表情は有名です。稲田さんにおける「三方ケ原の戦い」の自画像は、週刊文春の記事(2017.8.3号)です。

保守政治家には多少柔らかく書く産経新聞ですら、今回は容赦ない指弾です。ましてや週刊文春です。ここまで書くんです。ここまで書かれたことを決して忘れてはなりません。このあとの人生の戒めとする、これ以上の自画像はありません。

最後に「宰相への試練の旅」の終焉について書きたいと思います。私は宰相とは、やはり安倍さんのように心底から宰相と呼べる人でなければ宰相と呼びたくありませんし、とかく日本の総理は、菅直人氏や村山富市氏のように本来なるべきではない人もなってしまう地位ですから、期待感を持てる人には「未来の宰相候補」などと持ち上げます。

しかし、稲田さんは安倍総理が育てたいと見込むだけの政治信条、精神性を持った人ですが、総理大臣をめざすことがふさわしいのかといえば「NO」だと思います。

むしろ、保守勢力全体の精神的支柱、理論的後ろ盾として世論をリードする存在を目指して欲しいと思っています。具体的な職務はなかなか今あげられませんが、批判勢力の矢面に立ち、非難中傷の矢玉を受けることが、むしろ宰相を支えることになるような立場、そういう政治家を目指して欲しいと思います。

このテーマについては、具体的な職務についての答えが出るまで、私も自問しながら折々、触れてみたいと思います。