東日本大震災5年に寄せて

3月11日つまり3.11は、8月6日、8月9日、8月15日と並んで日本人が当分毎年敬虔な気持ちになる日だ。

私は、ヒロシマナガサキそして終戦の日には、必ず祈りを捧げるというところまではしていないが、3.11の午後2時46分の時だけは、これまでのところ、どんなことがあっても家で静かに黙とうを捧げることにしている。

今年は、珍しく、その前の時間帯に外出せざるを得なかった上に、客先で思いがけず長話しになってしまい、午後2時になってもまだ帰宅途上になり、珍しく焦ってしまった。

なんとか、午後2時43分頃帰宅して、テレビのスイッチを入れると、国歌斉唱の場面が映った。それでセーフだったわけではない。年寄りのつらいところは、こらえ切れない尿意に責められることだ。国家斉唱を聞きながら不謹慎と思いつつ排尿である。

そして、ようやくトイレを出た途端、日本武道館会場の司会者が「ただいまより1分間の黙とうを行います」

気持ちを静めて、被災地方向に首を垂れて黙とうした。心静かな気持ちより「間に合った」という安堵感が頭を支配した1分間だった。

震災から5年についての諸々のことはメディアの評価などに任せたい。私は、やはり、被災地のいろいろな人たちの思いを見るにつけ、5年を経た今なお涙が溢れてしまう。

今日は、たまたまニュースで、英語を教えるために日本に来ていて震災で命を落としてしまったアラスカ出身の若い青年を忘れまいと、その青年に英語を教わった初老の男性が、英語でメッセージを書き綴った本のことが紹介された。

私は思う。「日本人の私たちが生きているのに、異国から日本を訪ねてきてくれた外国人の君が命を落としてしまう。なんと無情なことだろうか」

おそらく、本を出した男性も同じ思いをもっておられるのではないだろうか。そして男性は、その異邦人の若者に伝わるようにとの思いから、片言の英会話レベルだった語学力を、本にできるまでに高めてメッセージを書き綴ったのだ。その思いの強さにして成しえたことが、実によく伝わってくるニュースだった。

なんと多くの人たちが命を落としたことか、いまだに身元が特定されない人たちのために、いまも身元確認作業を続ける警察の人たち、ガン検診の検体とわずかな遺骨のDNAを突き合わせて、5年目にして身元を突き止め遺族に連絡をする姿。

私は、まだ1歳にならないうちに父を病気で亡くした。戦死ではなかったため戦争遺族としての手当ては何一つ得られなかった家族である。けれども、いわゆる「戦争を知らない子供たち」世代ということで、戦争で家族を奪われた遺族の悲しみも、今ひとつ自分自身の悲しみにはなれなかった。

しかし、東日本大震災は違う。私は東京・池袋の駅のホームで、あの不気味な轟音とともに大揺れに揺れた時間を体験した。これはただ事ではない、東京が無事だったとしたら、やられたのはどこだ、と直感した。そして徒歩で30分、家に着いてつけたテレビに映し出されたのは、仙台市の海岸地区の田園をヒタヒタと押し寄せる津波の映像だった

天皇陛下も3.11の慰霊式典の「おことば」で、その映像は「決して忘れることのできないものでした」とおっしゃられた。

私は、昭和30年代前半の「チリ地震津波」のことを知っているので、仙台平野がこうだとすると、三陸沿岸はどんなことになるのだろう、と直感した。三陸沿岸が壊滅的な被害を受けたと報道されたのは翌朝だった。

今年3月12日の産経新聞朝刊コラム『「産経抄」に「あんな人(菅直人氏)を総理にしたから天罰が当たったのではないか」東日本大震災当時、原子力安全委員長だった班目春樹氏が8日のフジテレビでこう語ったことが巷で話題を呼んでいる。(以下略)』とあるのを見つけた。

私は「天罰が当たったのではないか」などという推測形ではなく「日本ならびに日本国民に対する天罰なのだ」と断定形する。つまり、国民全体がいいかげんな気持ちで国のリーダー選びをしてしまうと、こういうことになる。

日本ならびに日本国民は未来に向けて何を教訓に学ぶべきかというと、これほど大事な教訓はないと思う。

それは「たまたま菅さんが総理だっただけの偶然でしょ」などと済まされる問題ではない。同じ民主党政権でも、鳩山氏でも野田総理の時でもない、最も総理大臣になってはならない人物・菅直人がなってしまったから起きた災難なのだ。

同じことを日本は20年前にも経験している。自由民主党が与党でありたいがために自社さ連立などという「禁じ手」を犯したために、その当時最も総理大臣になってはならない人物・村山富市がなってしまったために「阪神・淡路大震災」が起きてしまった。

こうしたことを偶然などといって笑いごとで片付けているうち、日本ならびに日本人は同じ過ちを犯し続けるだろう。
もう少し、国のかじ取りを託すということに国民自身が責任を持たなければならない。

いいかげんな気持ちで政権を誕生させると国を誤るのだ。そんなことは歴史の中で枚挙にいとまがない。

3.11にあたり、あらためて大切なことを指摘しておきたい。