静かな音楽とともに、この先に幸あれと瞑目す

67歳のいま、長年当たり前のように一つ屋根の下で暮らしてきた妻のもとを離れ、単身で新しいチャレンジを始めている。
家のある東京都内より気候が寒いため、朝、昼、晩それぞれに面倒な生活になる。おまけに年寄り現象が現れてきて、頻尿、腰の痛みそして痔に悩まされ、あげくに花粉症。四重苦だ。

この半年、体重もじわじわと減ってきている。最初の数か月は食生活で大食いをしなくなったせいとか思っていたが、いまだに減少傾向に歯止めがかからないと、少し不安になる。ベスト体重71kgの頃から66kg台に落ちたのではないかと、別な体重計で確認しようと思っている。
半年で5kg減となると、お医者さんに診てもらう必要があるレベルだろう。

心当たりといえば入れ歯がある。さきほど四重苦と書いたが、五重苦といっていいかもしれない。歯は現在17本残っていて、総入れ歯ではないが、下は前歯が4本ないのをはじめ残っている歯が少ない。最近は部分入れ歯のかみ合わせが悪くなったせいか、食べ物を噛むのが楽しくなく、食事にあまり時間をかけていない。さっさと食事を済ませ、入れ歯を外して歯を磨き、歯間ブラシをかけてすっきりさせようとしてしまう。

そういう中での新しいチャレンジだ。五重苦で萎えそうになる気持ちを何とか高めながら、毎日過ごしている。
観光地に小さな店を開いた。物販ではなくカフェ的なものだ。
一応オープンさせたが、特に宣伝もせず知り合いの入り込みもないので、毎日静かに過ぎている。店内に流しているBGMを聴きながら、かれこれ13年ぐらい前のことを思い出している。

2003年頃だ。まだ家のローン返済を抱えていたので、毎月安定収入がないと返済が滞る。月給制の仕事で十分な額を得られる仕事につけず、思いあぐねた末、フルコミッションの人材紹介の会社で仕事をすることにした。夫婦だけでやっている会社だったが、大きくしたいと考えていることもあり熱心に誘ってくれた。

小さな貸しビルの一室で、その社長に手取り足取り教わりながら人材紹介ビジネスを始めた。社長はBGMを流して単調な仕事の気を紛らわせてくれた。

社長は時々candidateの面接対応で不在にしていたので、一人BGMを聴きながら仕事をすることも多かった。あの頃の先の見えない気分と、いまの気分が重なって、一人聴くBGMが、あの頃の気持ちを蘇らせてくれる。

よく音楽は、そのメロディが流れた途端、その時代にタイムスリップできるという。そのとおりだ。
フルコミッションだから、自分が応募させたcandidateがその企業に採用され入社までこぎ着けられなければ、それまで、どれだけ労力を費やしても一銭にもならない。社長は3ケ月もすれば大丈夫、実績を出せる仕事だからと言ってくれた。

結果として半年実績が出ず、その間無収入だったこともあり、大手消費者金融から借りまくって総額400万円以上の負債になっていた。それぐらいになると元金返済ができず、多少返済しても利息分だけの返済ということになる。

それでも、住宅ローンの返済猶予や消費者金融への相談など誠実な返済姿勢だけは保ちつづけた。一方、半年後、月給制の仕事にありつくことになったことから、人材紹介会社を辞めた。

1年後の翌年春、再度、人材紹介会社にコンタクトをとった。月給制の仕事だけでは額が足りずジリ貧なのだ。社長は「事情はわかった。掛け持ちでもいいから再挑戦して欲しい」と言ってくれた。

やっと、その半年後から実績が出始めて、一つ実績が出ると次から次へと実績を重ね、その後の半年だけで月給制の仕事の一年分の報酬を得られた。

年が2005年に改まる頃、社長は会社を大きくするために事務所も移転しスタッフも大幅に増やすことにして、そのスタッフ採用の一次面接を私に任せるようになった。

社長としては私にこの仕事に専念してほしかったようだが、私はいつまた無収入になるかわからないリスクを考え、掛け持ちを許してもらえなければ、こちらを断念せざるを得ないと申し出た。

会社のスタッフは、次第に増え10人を超えるようになった。ほとんどが私が採用を進言した人たちなので、年上の方たちも含めてスタッフの皆んなとの関係は良好だった。しかし、社長夫妻は「自分たち二人に次ぐナンバー3の立場においている人間が、時々外出しますといって会社を留守にされては、残りのスタッフたちに示しがつかない」と考えるようになり、とうとう10月下旬「どちらかを選択してくれ」と迫られた。私にとっては答えは一つである。

そうと決まると、その日の夕方のうちに退職発表である。何も事情を知らないスタッフの皆んなは寝耳に水、翌日、机の片付けに出社した私に次々と皆が集まってきてくれた。

正直、月給制の仕事一つだけでは額が足りないわけで、また何か掛け持ちを探さなければと思っていたところに思わぬ助け舟が現れた。人材紹介の仕事で一番多く採用者を送り込んでいた地方の会社から「首都圏での採用活動を手伝ってほしい」と言われ、月給制でお願いするという話しになったのだ。

これはありがたい。2本立ての月給ならローン返済のメドも立つ。こうして住宅ローンは2006年、数か月の繰り上げ返済をもって終わらせることができた。

2003年の春、小さな貸事務所の一室で聴いたBGM、それは先の見えない中での新たなチャレンジの不安を少し和らげる音色だった。

そして2016年の今、この貸店舗に流れるBGMもまた、先のみえない私のチャレンジの不安を少し和らげてくれる。あの時、半年後に一度撤退を余儀なくされたチャレンジだったが、1年後の再チャレンジによって何とか実績をあげることができた。

今回は、少なくとも2年程度は持ちこたえたいと思っている。それまで撤退しなければ何とかできるのではないかと思っている。2003年の時に比べて多少ロングレンジで構えられるところが違いだろうか。

いまBGMを聴きながら2003年の頃を思い起こし、「この先に幸あれ」と瞑目するばかりだ。