安倍さんの国葬に100万人連れだって参列しましょう。是非論は消えますから。

2022年9月27日(火)に行われる安倍元総理の国葬に、当日、雨が降ろう強風だろうと、心ある日本人が連れ立って参列しましょう。

もちろん、武道館に入れるわけではありませんが、警備上の立ち入り禁止区域の外の公園などの敷地までは行きましょう。北の丸公園だけでは済まない人数でしょうから、東御苑そして皇居前広場・・・。到着した順に。

安倍さんという人が、どれほど国民に尊敬され、その死がどれほど日本にとって大きな損失かを知る人ならば参列しましょう。

自由と民主主義を守り抜こうとしている諸外国のほうが、よほど安倍さんの偉大さをわかってくれている中、私たち日本人の多くも、それをわかっているということを行動で示すことが、国葬への参列だと思います。

やれ国葬の決め方は憲法違反だとか、国費を使うのはいかがなものか、などと言い募る勢力、そして、それを焚きつけるメディア勢力。日本人として心底情けなくなる連中の話も、私たちが100万人連れだって参列する姿を見れば雲散霧消するでしょう。

それらの連中の話が、いかに「恥知らず」なことかを知ってもらいましょう。

 

100万人の皆さんが、安倍さん追悼の気持ちを表す共通の徴(しるし)が欲しいですね。拉致問題啓発のブルーリボンのような、何かの色のリボンもいいと思ったのですが、写真はどうでしょう?  安倍さんの写真をイベント用名札ケースに入れて、胸ポケットに挟むとか・・・。

私はそんな感じで現地に着いたらバックから取り出し、写真を見えるようにしようと思います。

最後に、コロナ対策をしっかりして参列しましょう。発熱の方は残念ですが、ご遠慮いただきましょう。マスク、手指消毒をして、現地ではソーシャルディスタンスをとりましょう。片手を伸ばした距離ぐらいは離れましょうね。

この呼びかけをツィッターで流しますので、拡散していただければと思います。

当日、日本中を、そして世界中を驚かせましょう。

今後、歴史上の人物として安倍晋三を語る時、語られるであろう松陰の言葉

安倍元総理の密葬で挨拶された、昭恵夫人の「吉田松陰の言葉」、これは、今後、歴史上の人物として安倍晋三を語る時、必ず語られることになるだろうと感銘を覚えました。

「10歳には10歳の春夏秋冬があり、20歳には20歳の春夏秋冬、50歳には50歳の春夏秋冬があります。(中略)主人も政治家としてやり残したことはたくさんあったと思うが、本人なりの春夏秋冬を過ごして、最後の冬を迎えた。種をいっぱいまいているので、それが芽吹くことでしょう」

確かに安倍晋三と言う政治家の死は惜しい。けれども、その志を継ごうとするものがいれば、必ず「後来(将来)の種子として未来につながっていく」

昭恵夫人は、最愛の夫を失った悲しみの中においても、吉田松陰を尊敬してやまなかった政治家・安倍晋三の妻として、多くの同志に日本の将来を託す挨拶をされました。

この挨拶を報道で知った私も、目を覚ました一人です。

吉田松陰がわずか3年ほどの間に、いかに多くの人材を育てたことか。安倍元総理は、その一番弟子とも言える高杉晋作の蹶起、行動力を尊敬していました。

かつて、自分が父・安倍晋太郎の葬儀で、この吉田松陰の言葉をひいて挨拶した時、安倍晋三自身が決意したに違いありません。「父・晋太郎が松陰先生ならば、自分は、その一番最初の種子・高杉晋作になる。必ずや高杉晋作のように蹶起、行動する」と。

安倍元総理が、高杉晋作の蹶起、行動力を単なる憧れとしてではなく、自らの行動規範にしていたことが、いまとなってわかります。

このあと、時が流れ、安倍晋三という政治家が蒔いた種子が育ち、歴史上の人物として安倍晋三を語る時、かならずや、この昭恵夫人が挨拶された吉田松陰の言葉も共に語られるに違いありません。

こうして偉人の歴史は引き継がれていくのだと、つくづく思います。

 

菅義偉元総理、あなたに頑張っていただくしか途がありません。

安倍元総理が暗殺されてから、失ったものの大きさが日に日に増してくるばかりです。

論壇は「日本は羅針盤を失い漂流してしまうかも知れない」と嘆いています。

確かに安倍さんのような、生まれながらの偉大な政治家の出自と資質を兼ね備えた人など、100年に一人の確率でしか巡り合えません。

だからといって、このあとも次から次へと押し寄せるであろう難しい日本の決断の時、時の最高責任者にいい加減なことをされてはたまったものではありません。

岸田さんが、何年、総理を務めることができるのか、まったく未知数ですが、財政規律の財務省代弁者である限り、少なくとも経済・財政運営に関しては、理にかなった決断は期待できません。

外交・安全保障、憲法改正といった問題で、安倍さんの遺志を引き継げるかどうかについても、何の手ごたえもありません。

私は、安倍さんが暗殺された日の書き込みで次のように叫びました。

「私は、このあと、安倍さんの屍を乗り越えるようにして、鬼気迫る信念で「私が安倍さんの遺志を継ぐ、何が何でもやり抜く」という政治家が出てくることを切に願っています。」

その時は「安倍さんの遺志を継げる人、それだけの信念と覚悟がある人はいると思っています。」とだけしか書けませんでした。

いわば「いて欲しい、誰もいないなんて思いたくない」という思いだけでした。

その後、3週間ほど経ちました。追悼誌には、心ある方の寄稿がいくつか見られます。その一つに菅義偉元総理の寄稿がありました。

タイトルは「安倍元総理の遺志を継ぎ私が日本を取り戻す」

そうです、そう覚悟を持って言い切ってくれる人はいたのです。

 

菅義偉元総理は、1度目の政権に失敗した安倍さんを、不退転の気持ちで説得して2度目の総裁選出馬に引っ張り出した方です。

菅さんは追悼誌の中でこう言っています「あの時は(安倍さんの)背中を押す、なんてものではありませんでした。「国のために絶対立ち上がるべきだ」「やるしかないじゃないですか」と言い続けて説き伏せました」

菅さんは、その時、誰にも止めることができないほどの熱情に突き動かされたのでしょう。「今、自分が安倍さんを立ち上がらせることができなければ、日本は滅びてしまう。安倍さんなら救ってくれる可能性がある」

この菅さんの行動があって、のちの安倍さんが形作られた、といっても過言ではありません。

歴史を動かす出来事というのが、時として一人の誰にも止められない程の熱情と行動力によって成されるのだと思わざるを得ません。

それは、まるで薩長同盟を成し遂げた坂本龍馬の熱情と行動力のようです。

その後、安倍政権を支え続けた官房長官としての菅さんの立ち振る舞いは、誰もが知っています。

一昨年、安倍さんが総理を辞任されたあとの後任も「菅さんしかいない」というまとまりでした。

菅さんのスピーチ力や、国民に与える親近感などは安倍さんとは比較にならないほど不利ですが、国として何を大切にしなければならないか、国としてどう対処すべきかといった、国家観については安倍さんと軌を一にする考え方の人です。

志半ばにして総理の座を去らなければならなかった無念さを胸の奥底に押し隠したまま、いま自分がやるべきことについて研鑽をつんでいるに違いありません。

菅さんという人は、こうと決めたら「死ぬ覚悟を持って」やり抜く不屈の人です。安倍さんの死によって、自分が残された人生でやるべきことがはっきりと定まったと思います。

追悼誌の最後に「私の再登板ですか? それは一切考えていません。絶対にあり得ないと断言します」と述べています。

まさに「再登板」などという話はご本人の口から出るはずもありませんし、聞くほうがバカだと思います。

大事なのは、いつ、どのタイミングで、つまり2012年8月に菅さんが蹶起したように「菅さん、国のために絶対立ち上がるべきだ」「やるしかないじゃないですか」と誰が蹶起するか、です。

あらためて明言しておきます。日本がこれから直面する難しい局面で、誤りのない舵取りができる人がいる場合、その人の年齢などまったく意味をなしません。菅さんは73歳とのことですが、バイデン大統領は79歳です。

少なくとも、あと5年以内に、その時が来た場合には、菅義偉元総理、あなたに頑張っていただくしか途がありません。

そのようにお伝えいたします。

その時が来たなら、2012年8月に菅さんが示した決意と行動力と同じような不退転の決意と行動力を持って、菅さんを促す人物が現れなければなりません。

私は、その人物を見定めることに専念しようと思います。

 

 

【追悼】 安倍元総理、志半ばで斃れ、日本は大切な人を失ってしまった。

安倍晋三元総理が参院選挙応援演説中に暗殺されました。銃弾が自らの身体を打ち抜いた時、何かを思う暇があったかどうか、おそらくなかったと思いますが、志半ばで斃れ、無念であったでしょう。

安倍元総理が無念であったと同様に、私たち日本人も大切な政治家、大切な人を失ってしまい、ただ、ただ無念です。

不条理なことです。日本にとっては最低でも10年、いや、もっと先まで健在でいていただかなければならない政治家を、こうもあっけなく失なってしまいました。不条理の極みです。

なぜ「最低でも10年、いや、もっと先まで健在でいただかなければならない人だった」と断言するのか、それは、日本を取り巻く、特に中国をはじめとした東アジアにおいて、日本の置かれた立場が、明らかに、新たな決断、新たな国のかたちを求められる時期にあるからです。

こうした具体的な局面、どうしても何かを決断しなければならない場面に、国の行く末を誤ることなく導ける指導者は、安倍元総理しかいないと断言できるからです。

こうした場面がこないように手を打っていく行動力、戦略的、先見的に対応していく実行力をもった政治家は安倍元総理しかいないと断言できるからです。

2009年以降、世界の中で埋没しきって、何の敬意も持たれない日本の状態を、いまや世界、特に「自由と民主主義を守る世界のリーダー国」と尊敬を集める国に回復させた指導者を日本は失いました。

まさしく日本が失ってしまった「自信と誇り」を取り戻してくれたばかりでなく、自由と民主主義を守り抜こうとする世界の諸国から「敬意とリーダーシップへの大きな期待」を持って見られる国にまで押し上げた政治家なのです。

このように日本の世界における立場を押し上げるということができる指導者は、100年に1人レベルでしか得られないのだということを、私たちは、これからヒシヒシと感じるでしょう。失ってしまってから、失ったものの大きさがわかってくると思います。

口さがない人たちはよく「安倍さんは三度目を意識しているのだろうか?」と言っていました。他の政治家に対して「一度は総理をやってみたいですよね」と水を向けるのと同じ性根の物言いですが、こういう人たちは、根本的な考え違いをしています。

むしろ、日本がこれから、新たな国難に見舞われた時、国の舵取りを誰か強いリーダーに託さなければならない時期がきた時に、三回目であろうが四回目であろうが、安倍さんが健在でいるかどうかのほうが重要なのです。口さがない連中には、そのことがわかっていないのです。

でも、それも叶わないことになりました。

私は、このあと、安倍さんの屍を乗り越えるようにして、鬼気迫る信念で「私が安倍さんの遺志を継ぐ、何が何でもやり抜く」という政治家が出てくることを切に願っています。

そうしないと、本当に日本は危ないです。この先最低でも10年、いや、もっと先まで日本は非常に厳しい局面に立たされます。安倍さんさえ健在でいてくだされば「日本は断固切り抜けることができる指導者を持っている」という安心感があったのですが、安倍さんを失ってしまった今、本当に危なくなると思うからです。

安倍さんの遺志を継げる人、それだけの信念と覚悟がある人はいると思っています。

志ある言論人の皆さんには、ぜひ、一致団結して「安倍さんの遺志を継げる人、それだけの信念と覚悟がある人」を、支え育て盛り立てて欲しいと思います。

志ある言論人の皆さんが、それぞれいいことは言っているけれどバラバラ、では危ないのです。皆さんが一致団結して「安倍さん亡きあと」をカバーしていただきたいと切に願います。

当方も、そうした取り組みを支援していきたいと思います。

ウクライナの状況を見て、自国防衛に対して何も手を打たない日本よ、日本国民よ。

ロシアのプーチン大統領ウクライナ侵略戦争を始めました。

対するウクライナは自国防衛の軍備が足りず、同盟国も持たない状況でしたから、ロシア軍に蹂躙されるままになっています。

77年前、日本は同じ目に合っています。太平洋戦争の終結に向けて無条件降伏を受け入れたにも関わらず、ロシア(当時・ソ連)は、当時多数の日本人が生活していた満州に攻め込みました。

 

ロシア(ソ連)は取れると思っていた満州を取れず、徒労に終わったわけですが、多くの日本人の命が失われました。

ロシア(ソ連)がそういう国だということを身をもって知っているはずの日本は、このウクライナの状況を見て、自国防衛に対して何も手を打とうとしません。

 

私たちは、またロシアが日本を攻撃してくるとは思っていないと思いますが、相手は、いつ何時でも、日本が敵対国であると判断すれば、攻撃してきます。そんなはずはないと思うところが日本の、日本人の甘いところです。

 

日本にはそれ以上に差し迫った問題があります。際限なく軍備強化を進める中国の存在です。

よく専門家は言います。中国は孫子の兵法で軍事力を考えている。軍事力が日本の5倍以上になれば日本を攻撃してくる。それまでは攻撃しない。軍事力が日本の10倍になってしまえば、戦わずして日本を支配下に収める手を打ってくる。

 

それは台湾に対しても同じです。目下、中国は台湾を標的に、際限ない軍備強化を進めています。空恐ろしい状況なのに、日本は「中国と日本はもはや切っても切れない関係なので・・・」といって軍備強化に尻込みしています。

 

アメリカと日本が同盟関係にあるので心配ないという意見があります。結構多くの日本人が「そう思いたい、そう信じなければやってらんない」といった感覚にあります。

しかし、アメリカは「台湾独立には絶対賛成しない」と言明しています。台湾独立を支持すると中国と抜き差しならない事態になるので、あくまで現状のまま、という姿勢です。

 

中国の圧力で、じわじわと世界の中で国交を断絶する国が増えていて、ましてや同盟関係を結べる国がない台湾を「あくまで現状のまま」と見過ごしています。

 

アメリカがいかに同盟関係にあると言っても、ベトナム、中東、アフガンと続いた海外派兵で多くのアメリカ人を死なせたアメリカは、もう他国のために自国軍を投入することはなくなったのです。

 

それをまだわからずに「日米同盟」があるからといって、自国の防衛強化をためらう日本、日本国民は、本当に「平和ボケ国民」だし、日本のそういう姿勢の実態を欧米諸外国が本当に実感したら、卒倒してしまうでしょう。

すなわち「日本よ、日本国民よ、それって自殺行為だよ、自分の国を自分で守ろうという気のない国をどこが助けるんですか?  」と。

心ある評論家やジャーナリストがどんなに警鐘を鳴らしても、ちっとも世の中動きません。どうすれば動くのでしょうか、どうすれば「あぁ、手を打ち始めたな日本も」ということになるのでしょうか。

 

いつも日本は外圧がないと前に進まない国です。でも戦争という外圧は、突然やってきます。サイバー攻撃を受けて、機能がマヒしている間に奇襲攻撃でやられますので、手を打っているヒマがないのです。

そうなっても対応できる軍備を備えなければ、必ず敵は仕掛けてきます。抑止力というのは、そういう意味だということを、日本よ、日本国民よ、どうしてわからないのでしょう。

 

これからもまだ、平和第一主義の日本で軍備拡大は不要などと言っている人たちとお付き合いしなければならないのでしょうか?

これからもまだ、外交的、平和的解決をめざしていれば外国は攻めてきません、と念仏のように唱える人たちを相手にしなければならないのでしょうか?

 

それをやめろといっているのではないのです。片方でそういう努力をするけれども、片方ではキチンと抑止力を効かせる、そう言っているのに、それをわからない人たちには、どうすればいいのでしょう。

 

誰か答えを持っている人、教えてください。私はどう行動すればいいのでしょう。

 

 

 

大瀧詠一というアーティストのことについて

昨夜、2021年8月28日夜、NHK-BSで「我が心の大瀧詠一」という90分番組の再放送がありました。

今年4月にも放送されたようで、観た記憶があるようなないような、です。観たとしても何かをしながらだったかも知れません。

今回は、他に何もせずに観ましたので、かなり印象深い番組でした。

私なりに感じたことを書き留めておきたいと思います。

 

一つは大瀧さんの音楽性に、大瀧さんの出身地岩手県の山間部とほぼ同じ地域に拠点をおいて音楽活動をした「姫神」が奏でるメロディというかサウンドとの類似性を感じたことです。

姫神」の星さんという人は宮城県北部の出身だそうですが、音楽の拠点は岩手県です。

 

若い時代に「はっぴいえんど」というグループ名で大瀧さんとバンドを組んだ細野正臣さんは「メンバーは宮沢賢治に影響を受けており、その世界観がバンドの音楽性にも影響を与えていると述べている」と語ったことがあるそうです。

 

姫神宮沢賢治、大瀧さん、岩手の同じ地域が悠久の歴史を通じて醸し出す世界観が、私の中でシンクロします。自分のルーツがそちらの地域ではないのですが、なぜかサウンドはシンクロします。キーワードは「静寂」と、その静寂を破る「祭ばやし」すなわち地域のサウンドなのではないかと思うのです。

 

次に、おなじく「はっぴいえんど」のメンバーだった作詞家の松本隆さんとの信頼関係というか、詩と曲の一体性も特筆ものです。

番組では松本隆さんが、大瀧さんから初めてアルバムを制作する時に作詞を担当して欲しいと依頼されたエピソードを語っていました。

松本さんは、依頼された直後に大切な妹さんを亡くし、ショックのあまり、とても詩が書ける状態ではないと、断りを入れるのですが大瀧さんからは「自分は松本ありきでアルバム作りを考えているので、待つから」と言われたそうです。

そうして生まれた初アルバム「A LONG VACATION」の冒頭を飾る「君は天然色

時代が求めていた感性を見事にメロディそしてサウンドにしています。

筒美京平三木たかしといった作曲家にも同じ気持ちを抱くのですが、羨ましくなるほどの才能です。

 

三つ目は、この放送の演奏収録に集まったミュージシャンたちの多彩さです。ピアノ、ギター、ドラムはもとより、その分野のトップミュージシャンが一同に集うことの素晴らしさを見せてもらいました。

とかく、演奏にあたる人たちは、いろいろな音を奏でますから、なかなか個別の音として聞き手に届かないものです。

今回の演奏を聴いて、どの音も珠玉のサウンドピースであり不可欠のサウンドであることを実感しました。これは番組の作り方の成果なのかも知れません。

 

そのほかにも、いろいろあります。

大瀧詠一という人が福生に活動拠点をおいていたということ。福生といえば街自体にアメリカ的な空気が漂うところです。これはユーミン(松任谷由実)さんが持っているマインドと似た気持ちによるものなのでしょうか? と感じたこと。

 

また、大瀧さんが松田聖子さんのために作った「風立ちぬ」という曲を唄ったのが、なんと着物姿の島津亜矢さん、松田聖子さんにも似た透明感のある高い歌唱力に聞きほれたわけですが、画面には着物姿、そのギャップに思わず笑えました。

 

73歳という歳になっても、素晴らしい感動のサウンドに巡り合える喜びは何物にも代えがたい幸福です。

ちなみに大瀧さんも同じ1948年生まれだそうです。ご存命なら一つ違いの松本さんと似たような年の取り方で画面に登場したことでしょう。画面ではモノクロームポートレートが使われていましたが、同じ世代だからこそ共感する音楽性、世界観ということなのでしょう。

 

自分は、自分で生み出せるものが何もなくて、すべて受け身の側ばかり、ということを「どうして自分はこれほどまでに才能に恵まれていないのか」と長い間嘆くばかりでしたが、最近になって「自分は若い時代から何か一心不乱に打ち込むものを何も持たなかった」人生を歩んできたわけで、これでは「生涯にわたって何物でもない、ただの一人」にしかなり得ないと、やっと自覚できるようになりました。

 

そして、その代わりということかも知れませんが、まだ出会っていない感動のメロディ、サウンドに、これからも出会う楽しみがあると思うと、これはこれで幸せな生活と言えるかも知れないと思うようになっています。

今回のように「大瀧さん、ありがとうございます」と。

 

「国の誇り」を取り戻すことは急務、国内の「自国を貶める勢力」とも戦わなければならない。

8月15日の終戦の日にあたって、いくつかの寄稿を読んだ。もっとも購読紙が産経新聞のみなので、それに掲載されたものだけだが・・・。

 

数学者でベストセラー「国家の品格」の著者・藤原正彦氏は「ワクチンを恵まれる屈辱  

 戦後76年、誇りを失った日本人は気づかない・・・」と書いておられた。

そして「わが国は変わらなければならない」と結んでいる。

過去に失敗の歴史を歩んだ日本が「失敗の本質」を見ようとしないから、また同じ失敗を繰り返している。どうしてこんな国になってしまったのか」と嘆いておられる。

 

一事が万事、同感だ。

けれども、どうすれば変われるのか、どうすれば失敗の本質をつかみ、同じ轍を踏まずに済むのか、その解は、その寄稿には示されていなかった。

 

数日後の8月19日、正論欄に作家・ジャーナリストの門田隆将氏が「戦後76年の『特別な夏』に思う」と題して寄稿されていた。

 

そこで門田氏は「令和3年は、「国民の分断」が顕著に現れた年として特筆される」「今年明らかになったのは、中国にひれ伏す日本の政治の実態である。(中略)あるゆる意味で日本が中国共産党の"影響下"にある」と指摘しておられる。

 

すなわち、もともと親中勢力として知られる公明党と連立を組み、同じく親中勢力の二階幹事長が政権与党を牛耳っていることで、せっかく安倍政権時代に毅然とした対中姿勢を貫き、誇りを取り戻したかに見えた日本が、また中国共産党にいいようにあしらわれている。

 

門田氏は警鐘を鳴らす。「巨大モンスター・中国共産党を率いる習近平主席が『百年の恥辱を晴らし、偉大なる中華民族の復興を果たす』という国家目標を掲げているが、百年の恥辱を晴らす対象は、いうまでもなく『日本』である。日本はこの危機に対してどれぐらいの準備ができているだろうか」と。

 

ここから先は、8月19日に書き込んだ「現代ビジネス」のフェイクニュースを書くような単純で間抜けな勢力から「それみたことか、また戦争する準備をしなければならないと言っている」と言われないよう、キチンと書いておく。

 

門田氏も述べているが、やらなければならないのは「中国に攻め込まれる隙を与えてはならない。中国に戦争させない。つまり、中国が手出しできないような集団安全保障体制を築くのが急務」ということである。

 

憲法改正を何としてでも成し遂げなければならないのは、その集団安全保障体制構築のためなのだ。

憲法改正反対を叫ぶ勢力は、その動機がどうあれ、中国を利していることになる勢力であることを考えれば、私たちは、国内の「自国を貶める勢力」「反日・親中勢力」と戦わなければならない。

 

門田氏は「『子や孫の命を守るために』戦わなければならないだろう。先人が示してきた誇りや毅然とした生き方を私たちは思い起こさなければならない。そのことを誓うべき『特別な夏』であることを国民全員で理解したいのである」と結んでおられる。

 

藤原正彦氏が問題提起をして、門田隆将氏が明快に解を示された。

私たちは、いま「自国を貶める勢力」によって、また同じ轍を踏みかねない迷路の入口に立たされている。

藤原氏は「過去に失敗の歴史を歩んだ日本が「失敗の本質」を見ようとしないから、また同じ失敗を繰り返している。どうしてこんな国になってしまったのか」と暗示的な表現だったが、本質は「自国を貶める勢力」と戦い勝利しなければ、日本を変えることはできないという点にある。

 

そうなると、まず最初に手をつけなければならないのは「自国を貶める勢力」を政権与党から排除して、憲法改正を是とする勢力と組み替えることであり、総選挙において憲法改正勢力を少しでも増やすよう全力を尽くすことである。

 

生臭い政局論になってしまうが、避けて通れない。「自国を貶める勢力」と戦い勝利しなければ、日本を変えることはできないのだから。

「自国を貶める勢力」とはどういう勢力か明らかにしておく。

国政野党では、日本維新の会を除く「立憲民主」「共産」等の勢力、それに連なる支持基盤団体、朝日、毎日、NHK、TBSに代表されるメディア、左翼系学者。

国政与党の公明、二階一派、親中ビジネスに狂奔する経済人、チャイナスクールを中心とした親中官僚。

 

こうした勢力の動向を知り(敵を知り)、我々の勢力が一致団結して対抗しなければならない。

事は一刻もゆるがせにできない状況にある。