今後、歴史上の人物として安倍晋三を語る時、語られるであろう松陰の言葉

安倍元総理の密葬で挨拶された、昭恵夫人の「吉田松陰の言葉」、これは、今後、歴史上の人物として安倍晋三を語る時、必ず語られることになるだろうと感銘を覚えました。

「10歳には10歳の春夏秋冬があり、20歳には20歳の春夏秋冬、50歳には50歳の春夏秋冬があります。(中略)主人も政治家としてやり残したことはたくさんあったと思うが、本人なりの春夏秋冬を過ごして、最後の冬を迎えた。種をいっぱいまいているので、それが芽吹くことでしょう」

確かに安倍晋三と言う政治家の死は惜しい。けれども、その志を継ごうとするものがいれば、必ず「後来(将来)の種子として未来につながっていく」

昭恵夫人は、最愛の夫を失った悲しみの中においても、吉田松陰を尊敬してやまなかった政治家・安倍晋三の妻として、多くの同志に日本の将来を託す挨拶をされました。

この挨拶を報道で知った私も、目を覚ました一人です。

吉田松陰がわずか3年ほどの間に、いかに多くの人材を育てたことか。安倍元総理は、その一番弟子とも言える高杉晋作の蹶起、行動力を尊敬していました。

かつて、自分が父・安倍晋太郎の葬儀で、この吉田松陰の言葉をひいて挨拶した時、安倍晋三自身が決意したに違いありません。「父・晋太郎が松陰先生ならば、自分は、その一番最初の種子・高杉晋作になる。必ずや高杉晋作のように蹶起、行動する」と。

安倍元総理が、高杉晋作の蹶起、行動力を単なる憧れとしてではなく、自らの行動規範にしていたことが、いまとなってわかります。

このあと、時が流れ、安倍晋三という政治家が蒔いた種子が育ち、歴史上の人物として安倍晋三を語る時、かならずや、この昭恵夫人が挨拶された吉田松陰の言葉も共に語られるに違いありません。

こうして偉人の歴史は引き継がれていくのだと、つくづく思います。