安倍総理の牽引を支持する多くの声なき声と連帯しながら

戦後70年の総理大臣談話を安倍総理が発表した。国内外からの反応も、いろいろ出揃ったところだ。

そんな中、今朝の産経新聞「正論」欄に長谷川三千子氏が寄稿された。氏は「何もわれわれは好んで謝罪し続けているわけではない。繰り返し謝罪を要求し続けてくる隣人たちをどうすればよいというのか・・・。」という難問に対して、「この異例の長さの談話全体-この談話の姿勢そのもの-こそが、その答えなのではないか」と思い至ったと述べている。

そして「通りいっぺんの『お詫び』ではなく、一つ一つの国、さまざまの境遇の中での一人一人の苦しみを追体験し、そこに『寄り添う』ようにして過去が想起されています。また、従来の首相談話と比べて、懇切をきわめた形で『感謝』の念が強調されているのも特色です。こうした『愛語』を語るには、確かにこれまでの首相談話の3倍近い長さが必要だったのです」と述べている。

「愛語」とはお経の中にある言葉だそうで、氏は「要するに、すべての人間に対する慈愛の心から発せられる言葉であって、はじめて人の心に届くということなのですが、今回の談話を評するのに『愛語』ほどふさわしい言葉はない」と述べている。

長谷川氏は、寄稿を「真の平和のためには『謝罪』の精神風土を脱する必要があり、さらにそのためにはわれわれ一人一人が『愛語』を実戦していかなければならない、ということになります。今回の安倍談話は、そうした途方もなく大きな宿題をわれわれにつきつける『未来志向』の談話なのです。」と結んでいる。

「正論」欄の隣に「オピニオン」欄があり、レギュラー執筆者の宮家邦彦氏が「注釈・戦後70年安倍談話」というタイトルで寄稿している。

宮家氏は18日のBSフジ「プライムニュース」に出演されて、特に強調されていたことが「これから日本国内において、この談話の内容について国民的コンセンサスを作っていく必要があり、それが始まったと考えている」ということだ。

氏は、オピニオン欄でもワシントンでの米国人友人との会話を紹介しながら「和解努力はこれからも続いていく。これまで歴史問題で日本の国論は割れていた。保守派の安倍首相だからこそ国内のコンセンサス作りは可能だと私が言い続けてきた・・(以下略)」と述べている。

そして、アメリカからの帰国便の中で国内各新聞に目を通して、「リベラル系は『村山談話継承には程遠い』と批判、逆に保守系は『安易な謝罪なく建設的』と評価した。これこそ今回の談話が国内政治的・外交的にバランスがとれていることの証明だと確信した。中韓の消極的反応は織り込み済みだが、欧米での評価は予想以上に高かった。安倍談話が日本国内のコンセンサス作りと中韓の和解プロセスの第一歩となって欲しいものだ」と結んでいる。

宮家氏は、BSフジの番組の最後の提言コーナーで、出席していた中国、韓国の代弁者の相も変らぬ論調に辟易しながら、中韓両国が謝罪を受け入れて、和解プロセスに踏み出すには、まだまだかなりの時間がかかると感じたようで「時間をかけても慎重ていねいに」というボードを掲げた。

番組の一番最後だったこともあり、ボードについて説明する時間が限られていたが、要するに安易な妥協、安易な決着などは考えず、日本国民の誰が見ても「中韓ともに真の和解プロセスに歩み始めた」と実感できるまで、時間をかけて、ていねいに付き合っていく必要があると、日本国民に対して警鐘を鳴らしたと感じている。

まだまだ、中韓両国は、日本の誰が何を言っても「謝罪はわかった、さぁ未来に向かって進もう」などとは考えていないと肝に銘じる必要がある。

それにしても、今年に入ってからだけでも、4月下旬の「アジア・アフリカ会議バンドン会議)演説」、4月末の「アメリカ議会上下両院合同会議演説」、そして今回の「戦後70年総理談話」、それぞれ、日本の立場と国際社会での今後の役割発揮について、周到に練り込まれた内容を発信した。

特に今回は、明治期に遡っての日本の歩みにも詳細に言及して、日本の犯した過ちを直視しながら過去に学び、これから未来は、そういう国だからこそ世界に誇れる積極的平和貢献の国たらんということを指し示した内容だと思う。

宮家さんが指摘されたように、国論が割れていては隣国に付け込まれるだけなのだ。だからこそ安倍総理は、まず日本国民全体がコンセンサスを持って将来に向かっていこうではありませんか、と必死に呼びかけている。

中韓両国がそう簡単に、和解の未来に向かうことはないにしても、日本の野党政治家、左翼マスコミ(宮家さんは、穏やかな言い方で「リベラル系」と評したが、彼らは完全に左翼そのものだ)は、そろそろ、隣国に付け込まれるだけの国論二分化は止めてもらいたい。

ただ、そういうマスコミが、いくら総理談話を批判したり、安全保障法制を「戦争法案」だ、不支持が8割近くだとレッテルを貼ったりしても、最近、私は、揺るぎない気持ちになってきている。

つまり、これほど日本の誇りを保ちながら、国際社会に積極的に立場を発信していける指導者を、少なくとも私が成人してからの50年間は出会ったことがない。50年の間に、25人もの人が総理大臣になったが、たった一人、安倍総理だけだ。

そして、もう一つ、最近、確信に満ちたものになっていることが、もう一つある。それは、安倍総理が牽引しているいまの日本を、実は声なき声の多くの人々が支持しているに違いないということだ。

それは、多くの心ある人々というのは、案外声をあげずに信念を持って構えているものなのだということを、年とともに感じるようになってきたからかも知れない。

以前は、左翼論陣のうるさいばかりの批判に対して「なぜ我々も、もっと論理的に主張して彼らの主張が理不尽なものだと示さないのか」と不満を募らせたものだが、実は違うということが、幾つかの選挙を通じて分かってきた。左翼政党、左翼論陣の理不尽さを多くの国民も実はわかっている。投票行動では、それをキチンと意思表示しているのだ。

今回の安保法制にしても、いかにも大多数の国民が不支持かのような論調だが、実は違う。政府よ、必要性はわかっているから、もっとキチンと対応してくれ、ということなのだ。

それにしても民主党を筆頭に、なんと不毛の議論を投げかける議員の多いことか、何とかして政府の失態を引き出してやろうという、姑息な連中ばかりだ。民主党自身が「なぜ我が党の支持率がいまだに、 こんなに低いのか」ということに対する危機感も責任感もまったく感じられない。

民主党内に少なからずいるとされる良識派は、どうしているのか。声すら聞こえてこない。

最後に一つ、これは「ひいきの引き倒し」になるから、話すのはやめとけ、と言われそうなことだが、安倍総理が、いつの日かノーベル平和賞に選ばれるのではないかと密かに感じている。

なぜなら、現代の世界の主流になっている価値観に基づいてノーベル平和賞を選ぶとすれば、安倍総理という人物は、当然のように選考委員の脳裏に浮かんでいるに違いないからだ。

今日明日の話ではないにしても、ある年、ノルウェーから吉報がもたらされるかも知れない。ただ、中韓両国だけは、また「アベだけにはとらせない」と、なんやかんや妨害してくるに違いない。

ノーペル平和賞といえば、佐藤栄作総理がいるわけだが、私個人は、佐藤栄作氏の受賞をほとんど喜んでいない。なぜなのか、あまり深く考えてもいないが、要はノーベル平和賞といえば、世界からも尊敬を集めることが前提だろ、という気持ちなのだ。

でも、もし安倍総理が受賞することになれば、ほんとうに誇らしいことだと思う。おそらく、心の中でそう思っている人は、大勢いるに違いないが「まだ声に出して言うんじゃないよ。必ず足を引っ張る勢力がいるから」とたしなめられるに違いない。

そのような訳で、私は、日本の経済、外交、安全保障、そして未来に向けた世界平和への貢献すべてにわたって、力強く国民を牽引している安倍総理を、決して大声など出さなくとも支持している多くの人たちと、心の連帯を強くしながら支え、総理とともに誇りある国づくりをめざしたいと思う。

密かな心配は総理の健康だ。時折タブロイド紙が報じる健康問題、まだまだ道半ばだ。何とか健康を保っていただき、日本の将来をゆるぎないものに導いていただきたいと願うばかりだ。