いま、また主張したい。歴史教育を、来春から2本立てに改革すべし

さる9月15日のこの欄で「歴史教育を、来春から2本立てに改革すべし」と主張した。
文藝春秋2013/10月号が「日中韓100年戦争」という特集を組み、座談会で歴史教育を論じていたことに触発された。
 
あらためて書くが、「教育が国家100年の大計」であることを、中国、韓国の反日教育が、いやというほど見せつけてくれ、これから「日中韓100年戦争に突入する」と考えれば、我が国も「100年の大計」としての歴史教育を再構築するのは自明の理だ。
 
政府や文部科学省歴史教育見直しの議論で、さんざん出尽くしているだろうが、なぜか実現していない。
それは「日本も歴史教育を2本立てにすべきで、一冊は古代から江戸時代まで、もう一冊は幕末から現代までを並行して学ばせるべきだ」という改革である。
 
日本の近現代史についての歴史教育が不十分だという議論は、とっくに共通認識になっているのに、それについての改革がいつまでたってもできない日本。
 
日中韓100年戦争」という、軍事力を行使しないまでも、いわば冷戦時代と同様の関係が、相当長期間続くことを考えれば「国家100年の大計」たる歴史教育を、いまのままにしておいていいと思う国民のほうが少数派に違いない。
 
あとは政府・文部科学省が、どう具体化するかという問題だと思う。
 
ということを書いたわけだが、最近、また同じ思いに駆られた。
 
それは、さ来年、2015年のNHK大河ドラマ吉田松陰の三人の姉妹を題材にするようだとの報道があったからだ。
 
私は特に思うが、幕末から明治維新そして明治、大正、昭和の歴史をどのように教わったかというと、黒船来航、和親条約・修好条約締結、そして安政の大獄桜田門外の変薩長同盟大政奉還戊辰戦争明治維新と結果だけを日誌的に教わっただけで、それに至る幕府・諸藩の動きや多くの志々たちの行動、そして諸外国のかかわりなど1953年から1868年までの15年の歴史を皮相的にしかつかんでいない。
 
それらを補完してくれたのは、ここ5年間に放送された大河ドラマ、2008年の「篤姫」、2010年の「龍馬伝」である。この二つは幕府側と倒幕側の両方から黒船来航から明治維新までを、詳細に描いてくれており、それに司馬遼太郎の「竜馬がゆく」や「世に棲む日々」などを読み加えて、いわば空白期が埋まったような感じがする。
 
そして今年の「八重の桜」では、明治初期から明治中期までの中央政府の動きを描いており、これも空白を埋めるのに貴重なドラマだ。
 
明治中期から明治後期の部分は司馬遼太郎の「坂の上の雲」ということになり、これもNHKが3年をかけて制作したドラマで描かれている。結局、私たちは国がキチンとした歴史教育をやってこなかった部分を、司馬史観NHK史観に頼っていることになる。司馬史観については賛否両論あるが、NHK史観は多くの国を憂える国民が断罪すべきと指摘しているにもかかわらず、である。
 
なんという皮肉か。私などはボンクラなのでトンと気づかないがNHKという組織は、幕末モノのドラマの中にも例えば天皇軽視の思想に基づいた表現を巧妙に刷り込むなど、油断もスキもないところだという意見も多いにもかかわらずである。
 
私はどうしても自分の歴史知識の空白部分を埋めたいという気持ちが勝ってしまい、大河ドラマを粛々と観てしまう。だから、韓流ドラマにうつつを抜かしている我が家の奥方をはじめ世のオバチャマ方に「あれだけ日本を攻撃している韓国のドラマなんか、よく見れるな」とは、心の中で思っていてもなかなか言えない。
 
大統領が行く先々で人の国を蔑んでいるというのに、その国のドラマをありがたがって観ている、そんな国なんて、世界中、過去も現在も未来も、そうなかなかないのではないだろうか?
どこまでもオメデタイ民族になり下がってしまっている。
 
なんとかして欲しい。いまの政府ならできる。
歴史教育を、来春から2本立てに改革すべし。